展示会一覧
【2024年常設展②】王朝文化と都市の歴史
常設展では「王朝文化と都市(まち)の歴史」をテーマに士族の履歴を記録した家譜や、首里王府の行政文書、美術工芸品を通して、中世~現代の首里・那覇の歴史と文化を紹介します。
古琉球時代から近世の資料は、国王頌徳碑と真珠湊碑文の拓本、近世の士族に関する文書や簪、衣裳などをご紹介します。
近代は、尚家の正月儀礼に関する近代尚家文書、寄留商人関係資料、那覇港築港に関する資料、戦前の風俗や観光地を写したポストカード、戦時体制化~沖縄戦に関する資料をご紹介します。
現代は、終戦後のジュラルミン製の生活道具や、那覇の復興と題して那覇市牧志街道(現在の国際通り)工事平面図や公設市場関係資料、
また戦後の沖縄観光や那覇新都心に関する資料をご紹介します。
さらに、尚育と毛延章の書や、前田孝允作の美しい螺鈿の衝立、紅房の漆器など正月らしく華やかな資料もご紹介しています。
【特別展】松竹梅の紅型衣裳/朱漆と沈金の漆器
特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。
衣裳はお正月にちなんでおめでたい松竹梅の衣裳をご紹介します。
松竹梅は中国の「歳寒三友(さいかんさんゆう)」という考え方が起源と言われています。
松と竹は寒い冬でも緑を保ち、梅は寒中に花を咲かせることから、心や行いが正しく、自分の信じる主張を守りとおすことを表したものとされていました。これが日本に伝わり、さらに松・竹が常緑であることと梅が寒中に花開くことを、不老長寿を表していると考えるようになりました。
松竹梅は吉祥や慶事の象徴として、祝いの席で詠われたり、調度品や晴着の衣裳の文様などに広く使われています。
鶴亀と並んで、もっとも人々に親しまれているめでたさのシンボルといえます。
調度品は、朱漆と沈金の漆器をご紹介します。
琉球王国時代、漆器は中国や日本へ琉球の威信を示す献上品であり、王国の経済基盤を支える重要な工芸品でした。王府は貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)を設置して生産管理を行い、その高度な品質を維持しました。
琉球での漆器製作は15世紀頃から始まり、16~17世紀に螺鈿(らでん)・箔絵(はくえ)・沈金(ちんきん)など様々な技法が発達しました。
17世紀の薩摩侵攻以後は日本の武家社会の「唐風好み」にあわせた中国的な意匠の黒漆(くろうるし)や、螺鈿(らでん)の漆器が盛んに作られました。
王国時代の漆器の中でも、朱漆(しゅうるし)に沈金(ちんきん)で緻密な模様を隙間なく埋め尽くしたものは、王家や上級士族だけが用いた格式の高い特別なものとされています。
文書資料は、国の重要指定文化財である伊江御殿家資料をご紹介します。家譜や仕次、辞令書といった文書をご覧いただけます。
王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。
【特別展】朧型の紅型衣裳/黒漆の螺鈿の漆器
特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。
衣裳は「朧型(おぼろがた)の紅型衣裳」をご紹介します。
紅型は、布地の上に型紙を置き、その上からさらに糊を置いて、色を差して染めます。
通常は1枚の型紙で染めますが、朧型では型紙を2枚使います。
通常の文様を染める型紙に、もう1枚の型紙を加えて、地紋のような細かい柄を染めることで、複雑で奥行きのある文様を表現しています。
朧型は、糊置や色差しの手間が通常の倍以上かかり、技術的にも大変難しい染め方です。
朧型の紅型衣裳は、王国時代の紅型職人たちが、王家の人々のために技術の粋を尽くして作りあげたものなのです。
調度品は、先月に引き続き「黒漆と螺鈿の漆器」をご紹介します。
琉球王国時代、漆器は中国や日本へ琉球の威信を示す献上品であり、王国の経済基盤を支える重要な工芸品でした。
王府は貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)を設置して生産管理を行い、その高度な品質を維持しました。
琉球での漆器製作は15世紀頃から始まり、螺鈿(らでん)、箔絵(はくえ)、沈金(ちんきん)、堆錦(ついきん)など様々な技法が発達しました。
中でも螺鈿製の漆器は、材料のヤコウガイが琉球の近海で手に入る事もあり、17世紀頃から盛んに作られるようになりました。
大きな貝片をふんだんに使った豪華な螺鈿漆器は、中国皇帝へも献上され、北京故宮博物館には現在でも螺鈿の琉球漆器が多数保管されています。
王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。
2024年 国宝『玉冠』秋季特別公開
国内に唯一残る琉球国王の「玉冠」を、期間限定で特別公開します。
「玉冠」は、皮弁冠(ひべんかん)やタマンチャーブイとも呼び、琉球国王が即位儀礼である冊封(さっぽう)や重要な国内の儀式の際に着用した冠です。
戦前までは尚家にはこの冠とあわせて2、3個の冠が保存されていたとみられていますが、沖縄戦で所在が不明となり、現存している琉球国王の冠は、当館が保管するこの一点のみとなっています。
新収蔵品展 皆の記憶Ⅲ
当館では、これまでに家譜資料などの古文書や染織品などの美術工芸品といった多種多様な資料をご寄贈・ご寄託いただきました。
これらの資料は、先人たちから今を生きる私たちへ伝えられた大切な「贈り物」であると同時に、私たちが次世代へ歴史・文化を語り継ぐための貴重な資料でもあります。
こうした貴重な資料はいわば過去・現在・未来の私たち「皆の記憶」です。
今回は平成29年度から令和5年度にかけて収蔵された資料をもとに、琉球王国から現代へと至る歴史をご紹介します。
この機会にぜひご覧ください。
【特別展】琉球国王の衣裳/黒漆と螺鈿の漆器
特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。
衣裳は「琉球国王の衣裳」をご紹介します。
尚家伝来の王装束は、王冠や唐衣裳など8点あります。
琉球国王の最高礼服で国内の重要な行事や中国との儀式の際に着装し、唐装束とも呼ばれています。
琉球は中国の臣下の国家として、国王の即位は、皇帝から王冠や唐衣裳などを下賜される冊封儀式で執り行われました。
三山時代武寧(1404)の冊封から第二尚氏の尚泰(1866)までの462年間に21回の冊封が行われました。
唐装束は、冊封体制を象徴する装束です。
伝来の品は、現存する唯一の琉球国王の装束として重要な歴史資料です。
調度品は「黒漆と螺鈿の漆器」をご紹介します。
琉球王国時代、漆器は中国や日本へ琉球の威信を示す献上品であり、王国の経済基盤を支える重要な工芸品でした。
王府は貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)を設置して生産管理を行い、その高度な品質を維持しました。
琉球での漆器製作は15世紀頃から始まり、螺鈿(らでん)、箔絵(はくえ)、沈金(ちんきん)、堆錦(ついきん)など様々な技法が発達しました。
中でも螺鈿製の漆器は、材料のヤコウガイが琉球の近海で手に入る事もあり、17世紀頃から盛んに作られるようになりました。
大きな貝片をふんだんに使った豪華な螺鈿漆器は、中国皇帝へも献上され、北京故宮博物館には現在でも螺鈿の琉球漆器が多数保管されています。
王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。
【特別展】王家の芭蕉布/王家の宝剣
琉球王国時代、芭蕉布の衣裳は王家、士族から庶民まで幅広い層で着用されていました。
士族の男性は、首里城登城の際の正装衣裳として、絹糸と見紛う程細く紡いだ芭蕉糸で織りあげた黒い芭蕉布の衣裳を身に付けました。庶民は年間を通じて目の粗い芭蕉の生成り色の衣裳を着用しました。
一方で王家では、黄や赤など様々な色に染め、絣(かすり)模様や浮織(うきおり)模様をほどこした、華やかな芭蕉の衣裳を着用しました。
尚家伝来の刀剣は先月に引き続き「号 千代金丸(ちよがねまる)」、「号 治金丸(じがねまる)」、「号 北谷菜切(ちゃたんナーチリ―)」の王統の伝承に彩られた宝刀三口を展示しています。
また、治金丸の逸話について記されている「琉球国旧記」、宝刀の鞘袋などの関連資料を展示しています。
貴重な王国時代の美術工芸資料と、王家伝来の古文書をご覧ください。
【企画展】10・10空襲
今年は1944年10月10日の10・10空襲から80年目を迎えます。
那覇は王国時代から港町として栄え、1879年(明治12)の沖縄県設置以後は、県庁所在地として政治・経済・文化の中心となりました。大正から昭和初期にかけて那覇港整備とともに鉄道・バスなど陸上交通網の整備も進み、デパートや市場、映画館が立ち並ぶ近代的な街となりました。
しかし日本が戦時体制下となり、日中戦争からアジア・太平洋戦争へと戦線が拡大していくと、戦争は那覇の人々の暮らしにも暗い影を落とし始めます。
そして1944年(昭和19)10月10日。早朝、空母から飛び立った米軍の艦載機が奄美以南の南西諸島の島々を攻撃しました。これがいわゆる「10・10空襲」です。この空襲によって当時の那覇市の9割が焼失し、近代的な那覇の街は壊滅しました。米軍の沖縄島上陸より5カ月前の空襲は、戦況を知らされていなかった住民が初めて戦争の恐ろしさを実感した日でした。
この日をさかいに一変した那覇の街と住民の被害、10・10空襲がその後の地上戦へ与えた影響などを、体験者の証言を中心にご紹介します。