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開催終了 特別展 会期:2024-09-06 (金) 〜 2024-10-02 (水)

【特別展】白地の紅型衣裳/王家の宝剣

 鮮やかな黄色地のイメージが強い尚家伝来の紅型(びんがた)衣裳ですが、紅型衣裳42領のうち15領が白地の衣裳であり、もっとも高い割合となっています。

 紅型の特徴はその色使いにあり、赤、黄、青、緑などの鮮やかな原色で模様が描かれています。これらの色が最も美しく映える背景として、白という色が選ばれたとも考えられます。

美しく白地を残し、色彩を際立たせるために、紅型職人たちは糊置きや色差しなどの各工程で細心の注意を払い作業を進めました。汚れの無い白地の紅型衣裳は、職人が高い技術と熟練の技で手間をかけて作り上げた特別なものでした。



尚家伝来の刀剣は3口あります。

山北王が中山王との戦いで敗北し、自害した伝説のある「号 千代金丸」。
宮古島の領主が尚真王に献上したとされる「号 治金丸」。
王府との関りの印を刻した「号 北谷(ちゃたん)菜切(ナーチリ―)」など、いずれも尚家王統の伝承に彩られた宝刀です。

千代金丸や北谷菜切の鞘(さや)や鍔(つば)などは琉球製ですが、刀身はいずれも日本製とされています。



貴重な王国時代の美術工芸資料と、王家伝来の古文書をご覧ください。

『白地の紅型衣裳』10/2(水)まで公開

『王家の宝剣』10/28(月)まで公開


開催終了 特別展 会期:2024-08-02 (金) 〜 2024-09-02 (月)

【特別展】流水文様の紅型衣裳/琉球漆器の様々な技法

特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。


今月は尚家資料より「流水文様の紅型衣裳」をご紹介します。

紅型は型紙を使用して染める染色技法のため、文様は一定のパターンを等間隔で繰り返して展開されます。
また、型紙は表裏両面が使用できるため、文様を裏返して染めることもできます。

今回展示している衣裳は、文様が繰り返すという特徴を生かし、流水文様が左右対称になるように染めたのち、模様がつながるように縫製し、背中一面に水が流れているかのような動きを生み出しています。

実際に使われている型紙は1枚にもかかわらず、細部まで計算された染めと縫製により、ダイナミックで動きのある見事なデザインになっています。



調度品は先月に引き続き、「琉球漆器の様々な技法」をご紹介します。

琉球王国時代、漆器は中国や日本へ琉球の威信を示す献上品であり、王国の経済基盤を支える重要な工芸品でした。

王府は貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)を設置して生産管理を行い、その高度な品質を維持しました。

琉球での漆器製作は15世紀頃から始まり、当初中国の影響を強く受けて螺鈿(らでん)・箔絵(はくえ)・沈金(ちんきん)技法が発達し、朱漆(しゅうるし)に精緻な模様を隙間なく埋め尽くした器物が作られました。

17世紀初頭の薩摩侵攻以後は、日本の武家社会の「唐風(とうふう)好み」にあわせた中国的な意匠の黒漆螺鈿が盛んに作られました。また高温多湿の気候を生かして独自の堆錦(ついきん)技法が発達しました。


文書資料も先月に引き続き、諭祭に関する資料をご紹介します。

諭祭とは、中国皇帝が使節を遣わして琉球王の先王の霊を祀る儀式です。

首里城において新たな国王を任じる冊封の儀式前に行われるのが通例で、新たな国王(諭祭のときには世子という立場)も参加して、歴代国王の廟所である崇元寺で催されました。


王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。


開催終了 企画展 会期:2024-07-05 (金) 〜 2024-09-02 (月)

【企画展】小禄村合併70周年 ウルク今昔

 那覇の歴史は小禄から始まります。
 日本最古とされる3万年以上前の人骨、縄文時代に相当する集落跡など、先史時代の遺跡が複数確認されており、早い時期から人々が生活を営んでいたことが確認できます。
 1673年尚貞王の時代に、真和志間切三村から小禄村・金城村・儀間村の3村を、豊見城間切から大嶺村・宇栄原村・赤嶺村・高良村・具志村・當間村・安次嶺村・ぐし宮城村の8村を分割して、新たな行政区として小禄間切が誕生しました。その後、湖城村・松川村・堀川村・田原村が新設され、最終的には15村で構成される間切となりました。近世・近代を通じて畑作・織物生産・養豚が盛んでしたが、なかでも小禄紺地(ウルククンジー)は県外にも出荷され、名声を博しました。
 終戦後、小禄村の大半は米軍によって占領されていたため、もとの地域に帰れない人々は高良・宇栄原一帯に移り住み、さらにそこから田原に築かれた新部落などに移り住みました。
 本企画展では、先史時代から戦後の小禄が歩んできた歴史を紹介します。


開催終了 特別展 会期:2024-07-05 (金) 〜 2024-07-31 (水)

【特別展】空色地の紅型衣裳/琉球漆器の様々な技法

特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。


今月は尚家資料より「空色地の紅型衣裳」をご紹介します。

王国時代の紅型衣裳は、白地、黄色地、紅色地など様々な地色がありますが、涼やかな水色地(空色地)の衣裳も数多く残されています。

青色の原料となる藍(あい)は、染める回数によってごく薄い水色から濃紺まで、様々な青色を染めることが出来ます。

藍染めには、本土では蓼藍(たであい)が多く使われますが、琉球では琉球藍、蓼藍、インド藍など複数の藍が使われました。中でも亜熱帯気候の中で栽培しやすい琉球藍が最も多く利用されました。琉球ではこの藍で、浅地(あさじ)(水色地)や紺地(こんじ)の衣裳が作られました。


調度品は「琉球漆器の様々な技法」をご紹介します。

琉球王国時代、漆器は中国や日本へ琉球の威信を示す献上品であり、王国の経済基盤を支える重要な工芸品でした。

王府は貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)を設置して生産管理を行い、その高度な品質を維持しました。

琉球での漆器製作は15世紀頃から始まり、当初中国の影響を強く受けて螺鈿(らでん)・箔絵(はくえ)・沈金(ちんきん)技法が発達し、朱漆(しゅうるし)に精緻な模様を隙間なく埋め尽くした器物が作られました。

17世紀初頭の薩摩侵攻以後は、日本の武家社会の「唐風(とうふう)好み」にあわせた中国的な意匠の黒漆螺鈿が盛んに作られました。また高温多湿の気候を生かして独自の堆錦(ついきん)技法が発達しました。


文書資料は、諭祭に関する資料をご紹介します。

諭祭とは、中国皇帝が使節を遣わして琉球王の先王の霊を祀る儀式です。

首里城において新たな国王を任じる冊封の儀式前に行われるのが通例で、新たな国王(諭祭のときには世子という立場)も参加して、歴代国王の廟所である崇元寺で催されました。


王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。


開催終了 特別展 会期:2024-05-31 (金) 〜 2024-07-01 (月)

【特別展】牡丹文様の衣裳/美御前御揃(ヌーメーウスリー)~王家の御道具~

特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。


今月は尚家資料より「牡丹文様の衣裳」をご紹介します。
牡丹は、中国で古来より「百花(ひゃっか)の王」とされ、宮廷の庭に植えられ王侯貴族の花として尊ばれてきました。
日本には奈良時代に伝わり、初夏の庭を華やかに彩る高貴な花として愛でられ、和歌や俳句にも取り上げられてきました。

尚家伝来の衣裳にも、紅型や刺繍で牡丹を描いた衣裳が数着あります。そのどれもが、衣裳全体に大輪の牡丹を大胆にあしらった、王家の人々がまとうのにふさわしい華やかなものとなっています。


調度品は、先月に引き続き「美御前御揃(ヌーメーウスリー)~王家の御道具~」をご紹介します。

美御前御揃(ヌーメーウスリー)とは、琉球国王と王族が、首里城のプライベートな生活の場にあたる御内原(ウーチバラ)で正月や祝日などの祝宴に用いたとされる、琉球の特徴的な道具揃の事です。
中央に金・銀器、右に御籠飯(ウクファン)、左に御玉貫(ウタマシチ)を配し、それぞれを高い脚付盆に据えます。中央の金杯は国王だけが使用しました。
当館では、記録に基づき尚家伝来の器物を組み合わせて往時の「美御前御揃」を復元しています。
これらの器物は、意匠や技法が微妙に異なることから、同時期に製作されたものではないと見られ、補充などを経て現在の形になったと考えられます。


文書資料も先月に引き続き、「僉議」をご紹介します。

琉球王国の最高政務機関である評定所において各種に案件を協議し採決することを僉議といいます。
協議内容は、所領拝領、相続問題から壮麗や生霊の問題など多方面に及んでいます。首里王府の意思決定過程を分析するうえで貴重な史料です。
尚家文書の中には、僉議を記録した史料が22件確認されています。

さらに「国宝の修理事業」と題して国宝指定の「琉球国王尚家関係資料」の修理事業についてご紹介します。
尚家資料のなかには損傷が激しく、今後の保存管理や公開に支障をきたす資料も存在します。これらの資料については、文化庁や財団の補助を受けて継続的に修理事業が実施されています。
国宝修理は高度な技術と資料を安全に保管する施設が必須となるため、「琉球国王尚家関係資料」は最新の資料管理施設を備える九州国立博物館内で修理されています。
修理済みの資料は展示公開するたけでなく、複製などを作りより多くの方々が資料を利用できるように努めています。


王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。


開催終了 特別展 会期:2024-05-03 (金) 〜 2024-05-15 (水)

2024年度 国宝『玉冠』春季特別公開

国内に唯一残る琉球国王の「玉冠」を、期間限定で特別公開します。

「玉冠」は、皮弁冠(ひべんかん)やタマンチャーブイとも呼び、琉球国王が即位儀礼である冊封(さっぽう)や重要な国内の儀式の際に着用した冠です。

戦前までは尚家にはこの冠とあわせて2、3個の冠が保存されていたとみられていますが、沖縄戦で所在が不明となり、現存している琉球国王の冠は、当館が保管するこの一点のみとなっています。


開催終了 常設展 会期:2024-05-03 (金) 〜 2024-07-01 (月)

【2024年常設展①】王朝文化と都市の歴史

常設展では「王朝文化と都市(まち)の歴史」をテーマに士族の履歴を記録した家譜や、首里王府の行政文書、美術工芸品を通して、中世~現代の首里・那覇の歴史と文化を紹介します。


今回の常設展示では、グスク時代の首里城の整備、近世琉球の士(サムレー)の一生に関する文書や衣裳、中城御殿に関する近代尚家文書、沖縄戦から戦後の復興に関する資料などを時系列にご紹介しています。

また5月の那覇ハーリーやユッカヌヒーに合わせて、爬龍船の図や張子の人形、爬龍船の模型などの玩具も展示しています。


さらに今回は、4月28日に寄贈されたばかりの琉球王国時代の士族の印章と、その印章が押された古文書「上原家資料」もご紹介しています。

上原家は久米村出身の士であり、もともとは宇栄原家と名乗っていました。首里王府から地頭地も与えられ、身分の高い家柄でした。

今回ご紹介する資料は、蔡姓家譜(写)と、家譜仕次、住職関連文書、印章など琉球王国時代の資料も含まれています。

なかでも印章は、県内でもほとんど発見されておらず、大変貴重です。

発見された印章が実際に使用された公文書も残されており、印章と文書が照合できる初めての事例となります。

この機会にぜひご覧ください。


また、同じく赤嶺キクのもんぺも初めての展示となります。

もんぺの持ち主は小禄村(現那覇市)宇栄原出身の赤嶺キク(昭和4年生)。

1944年(昭和19)に沖縄県立第二高等女学校に入学したキクは、米軍の上陸が近づき、山原への避難命令が出ましたが、家族と離れ曾祖母と残りました。
壕を転々とし、集団自決を迫られながらもどうにか生き延びて捕虜になりました。

もんぺは、母が花嫁衣裳として着ていた着物を縫い直して作られたもので、戦後も大事に保管していました。

「二高女 一松(一年松組)赤嶺キク」という刺繍も残っていますので、注目してご覧ください。


開催終了 特別展 会期:2024-05-03 (金) 〜 2024-05-29 (水)

【特別展】ロイヤルカラーの黄色地衣裳と王国時代の色材/美御前御揃~王家の御道具~

特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。



今月は尚家資料から「ロイヤルカラーの黄色地衣裳と王国時代の色材~科学の目でみる王国の色と色材~」をご紹介します。

琉球では黄色地の衣裳は「チールジー」とよばれ、王家のみが使用できるロイヤルカラーとして特別な意味を持っていました。

当館では2001(平成13)年から2019(令和元)年にかけて、国宝・琉球国王尚家関係資料及び福地家(ふくちけ)資料ほかの美術工芸資料83点に使用された色材の非破壊分析調査を行いました。

その結果、輝くばかりの鮮やかな黄色は、石黄(せきおう)という高価な輸入顔料や、黄檗(きはだ)などの染料で染められていることが判明しました。

この度、長年にわたる調査の成果をまとめた報告書『科学の目でみる琉球王国の色とその色材』が出版されたことを記念して、ロイヤルカラーの黄色地衣裳の調査結果と、使用された色材を展示します。


調度品は、「美御前御揃(ヌーメーウスリー)~王家の御道具~」をご紹介します。

美御前御揃(ヌーメーウスリー)とは、琉球国王と王族が、首里城のプライベートな生活の場にあたる御内原(ウーチバラ)で正月や祝日などの祝宴に用いたとされる、琉球の特徴的な道具揃の事です。

中央に金・銀器、右に御籠飯(ウクファン)、左に御玉貫(ウタマシチ)を配し、それぞれを高い脚付盆に据えます。中央の金杯は国王だけが使用しました。

当館では、記録に基づき尚家伝来の器物を組み合わせて往時の「美御前御揃」を復元しています。

これらの器物は、意匠や技法が微妙に異なることから、同時期に製作されたものではないと見られ、補充などを経て現在の形になったと考えられます。


文書資料は、「僉議」をご紹介します。

琉球王国の最高政務機関である評定所において各種に案件を協議し採決することを僉議といいます。

協議内容は、所領拝領、相続問題から壮麗や生霊の問題など多方面に及んでいます。首里王府の意思決定過程を分析するうえで貴重な史料です。

尚家文書の中には、僉議を記録した史料が22件確認されています。


さらに「国宝の修理事業」と題して国宝指定の「琉球国王尚家関係資料」の修理事業についてご紹介します。

尚家資料のなかには損傷が激しく、今後の保存管理や公開に支障をきたす資料も存在します。これらの資料については、文化庁や財団の補助を受けて継続的に修理事業が実施されています。

国宝修理は高度な技術と資料を安全に保管する施設が必須となるため、「琉球国王尚家関係資料」は最新の資料管理施設を備える九州国立博物館内で修理されています。

修理済みの資料は展示公開するたけでなく、複製などを作りより多くの方々が資料を利用できるように努めています。



王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。




開催終了 特別展 会期:2024-03-29 (金) 〜 2024-04-29 (月)

王家の上布衣裳/三線と工工四

特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。


今月は尚家資料より王家の上布衣裳をご紹介します。

琉球王国時代、宮古・八重山地方では盛んに苧麻(ちょま)が栽培され、苧麻布が生産されていました。

苧麻布は品質によって上布(じょうふ)・中布(ちゅうふ)・下布(げふ)・下下(げげ)布(ふ)に選別され、王府に税金として納められました。

こうした苧麻布のうち、上布は衣裳の素材として利用されました。尚家(しょうけ)にも上布の衣裳が多数伝来しており、琉球の最高品質の苧麻布をみることができます。

上布はさらりとした肌触りで涼しく、高温多湿の琉球で夏衣裳の素材として好まれました。当館が所蔵する尚家の染織資料57領のうち約1/3にあたる18領が苧麻の衣裳で、琉球王家でも上布が多用されていたことが分かります。


調度品は先月に引き続き、当館所蔵の三線(さんしん)や工工四(くんくんしー)をご紹介します。

琉球では、海外からの賓客をもてなす場で歌舞音曲を演じる役割を士族男子が担っていため、士族の教養として三線の習得が奨励されました。近代以降、庶民の間にも広く根付き、現在では沖縄の人々の生活に切っても切り離せないものとなっています。

三線は琉球から日本へ伝わり三味線(しゃみせん)となりました。胴の部分には元々紙や皮が貼られていましたが、琉球ではニシキヘビの皮が貼られています。


文書資料も先月に引き続き、尚家に伝わる工工四や平親雲上朝彬の文書などをご紹介します。

川平親雲上朝彬(ちょうひん)は、最後の琉球国王尚泰に仕え、琉球音楽の大家である野村親雲上安趙(あんちょう)に歌・三線を師事しました。

朝彬は尚泰の命により工工四を献上しますが、作成するにあたって離島の民俗音楽も収集したといわれています。

今回展示する川平家資料は、「「歌道要法(かどうようほう)」、「琉歌言葉之仮名綴見合(りゅうかことばのかなつづりみあわせ」、「三線四種之調子音調之次第 外」で、これらはその時の収集資料と思われます。


王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。


開催終了 常設展 会期:2024-03-08 (金) 〜 2024-04-29 (月)

【2023年度常設展③】王朝文化と都市(まち)の歴史

常設展では「王朝文化と都市(まち)の歴史」をテーマに士族の履歴を記録した家譜や、首里王府の行政文書、美術工芸品を通して、中世~現代の首里・那覇の歴史と文化を紹介します。


今回の常設展示では、首里城正殿から発掘された遺物や、士(サムレー)の一生に関する文書や衣裳、近世から近代にかけての欧米の接近と王府の対応が書かれた尚家文書、近代沖縄の始まりに関する資料や尚寅の墓誌、沖縄戦から戦後の復興に関する資料などを時系列にご紹介しています。

また、紅型の工程と道具、組踊の名優として知られる金武良章と父良仁の舞台衣装や小道具、海洋博に関する資料、県内企業の発展と題してオリオンビール創設者の具志堅宗精氏の資料など、さまざまな資料をご紹介しています。