展示会一覧
桜が描かれた紅型衣裳/三線と工工四
特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。
今月は、尚家資料から「桜が描かれた紅型衣裳」をご紹介します。
今回ご紹介する3点の衣裳には、すべて桜が描かれています。散らし桜、枝垂桜(しだれざくら)など描かれ方は様々ですが、その桜のほとんどが、実際の花の色とは異なる青や黄・赤などの色に彩られています。
桜をはじめとする、紅型で描かれているモチーフは、多くが沖縄に自生しない動植物です。それらは日本や中国から渡ってきた絵画や染物を参考に考案されたといわれています。しかし、モチーフの形だけを取り入れ、本来の色にとらわれない自由で大らかな色使いをしたことによって、紅型の特徴のひとつである、鮮やかで大胆な独特の配色が生まれたと考えられています。
調度品は、3月4日の三線(さん(3)し(4)ん)の日にちなんで、当館所蔵の三線(さんしん)や工工四(くんくんしー)をご紹介します。
琉球では、海外からの賓客をもてなす場で歌舞音曲を演じる役割を士族男子が担っていため、士族の教養として三線の習得が奨励されました。近代以降、庶民の間にも広く根付き、現在では沖縄の人々の生活に切っても切り離せないものとなっています。
三線は琉球から日本へ伝わり三味線(しゃみせん)となりました。胴の部分には元々紙や皮が貼られていましたが、琉球ではニシキヘビの皮が貼られています。
文書資料もさんしんの日にちなみ、尚家に伝わる工工四や平親雲上朝彬の文書などをご紹介します。
川平親雲上朝彬(ちょうひん)は、最後の琉球国王尚泰に仕え、琉球音楽の大家である野村親雲上安趙(あんちょう)に歌・三線を師事しました。
朝彬は尚泰の命により工工四を献上しますが、作成するにあたって離島の民俗音楽も収集したといわれています。
今回展示する川平家資料は、「「歌道要法(かどうようほう)」、「琉歌言葉之仮名綴見合(りゅうかことばのかなつづりみあわせ」、「三線四種之調子音調之次第 外」で、これらはその時の収集資料と思われます。
王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。
※『三線と工工四』は4/29(月)まで開催
王国時代の冬衣装/龍の漆器と書
特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。
今月は、尚家資料から「王国時代の冬衣装」をご紹介します。
気候が温暖な琉球でも、冬になると絹や木綿(もめん)で出来た防寒着を着用しました。
木綿は現在では夏物という印象が強いのですが、苧麻(ちょま)や芭蕉(ばしょう)よりふっくらとして暖かいため、冬物として利用されていました。
木綿は琉球でも栽培されていましたが、芭蕉などよりも栽培が難しく貴重な繊維だったため、身に付けられたのは主に士族層で庶民にとっては贅沢品でした。上級士族は、さらに裏地を付けて袷(あわせ)衣裳にし、防寒性を高めました。
王族や上級士族は、内側に中国式の丈が短い絹製の袷衣裳「馬掛子(まーくゎー)(唐(トー)ビーター)」を内側ーに重ね着することもありました。
調度品は、先月に引き続き、龍が描かれた漆器や書をご紹介します。
中国では古くから、鳳凰(ほうおう)、麒麟(きりん)、亀、龍を四瑞(しずい)と呼び、めでたいときに現れる生き物とされ、崇められてきました。
さらに龍は東西南北を守る神・四神(しじん)のひとつであり、青龍(せいりゅう)として東の方角をつかさどります。
琉球王国時代に様々な形であらわされた龍をどうぞご覧ください。
文書資料も先月に引き続き、伊江御殿家資料をご紹介します。
伊江御殿家は摂政や行政機関の長など、高官を歴任しました。
その伊江御殿家に代々受け継がれてきた伝来品は、当時の上級身分の生活の一端を垣間見ることができる貴重な資料群であり、2002年には沖縄県有形文化財に指定されました。その後、2019年には県指定を受けた一部が国の重要文化財指定を受けました。
文書・記録類は家譜、職歴関係記録や首里之詔(しゅりのみことのり)(辞令所)、生子証文(出生届)、口上覚等があります。特に首里之詔は、重要な役職や地頭地(ぢとうち)(所領)を与える最も格の高い文書で、伊江御殿家には25通も伝来しています。
王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。
王家の象徴・龍の衣裳/龍の漆器と書
特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。
今月は2024年最初の特別展として今年の干支である辰にちなみ、王家の象徴である龍の文様の衣裳をご紹介します。
琉球では龍は王権の象徴とされていたため、龍の衣裳をまとうことができたのは王家の人々だけでした。
「御後絵(おごえ)」は国王の死後描かれた肖像画で、国王はたくさんの龍が織りだされた正装の「唐衣裳(とういしょう)」をまとっています。現在見ることのできる御後絵は白黒写真ですが、国王の子孫が遺した唐衣裳や龍文の布から、その色が極彩色だったことが分かります。
王家に伝わった衣裳の中には、龍文が全身に配された紅型(びんがた)があります。華やかな紅色地に龍文の描かれた衣裳は、王家ならではのものといえます。
また、今回も前回に引き続き沖縄県立芸術大学の所蔵する尚育王の御後絵のパネルを展示しています。
調度品も龍が描かれた漆器や書をご紹介します。
中国では古くから、鳳凰(ほうおう)、麒麟(きりん)、亀、龍を四瑞(しずい)と呼び、めでたいときに現れる生き物とされ、崇められてきました。
さらに龍は東西南北を守る神・四神(しじん)のひとつであり、青龍(せいりゅう)として東の方角をつかさどります。
琉球王国時代に様々な形であらわされた龍をどうぞご覧ください。
文書資料は、伊江御殿家資料をご紹介します。
伊江御殿家は摂政や行政機関の長など、高官を歴任しました。
その伊江御殿家に代々受け継がれてきた伝来品は、当時の上級身分の生活の一端を垣間見ることができる貴重な資料群であり、2002年には沖縄県有形文化財に指定されました。
その後、2019年には県指定を受けた一部が国の重要文化財指定を受けました。
文書・記録類は家譜、職歴関係記録や首里之詔(しゅりのみことのり)(辞令所)、生子証文(出生届)、口上覚等があります。特に首里之詔は、重要な役職や地頭地(ぢとうち)(所領)を与える最も格の高い文書で、伊江御殿家には25通も伝来しています。
王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。
※「龍の漆器と書」は2月28日(水)まで
ぐし宮城(ぐしみやぎ)家資料展~伝統とモダンの近代那覇~
【会期中展示替えあり】
前期:1月7日(日)~2月5日(月)
後期:2月9日(金)~3月4日(月)
※前期終了日が当初の予定(2月7日)から変更になりましたのでご注意ください。
伝統とモダンの交錯する近代那覇に暮らした「ぐし宮城(ぐしみやぎ)家」。
明治初頭生まれのセツの生家は那覇士族で、嫁入り道具として王国時代の伝統的な衣裳類を持参しました。
セツの息子・昇は上京して最先端の写真技術を学び、昭和初期に那覇で写真スタジオを開きました。
那覇市歴史博物館にはセツと昇が残した衣裳や漆器、装飾品、写真など約600点におよぶ資料が寄贈されました。
そのどれもが琉球王国時代から近代にかけての那覇の変遷を物語貴重な資料です。
親子二代に渡るぐし宮城家の衣裳や写真などを通じて、明治から昭和初期の那覇の暮らしと風景をご紹介します。
王家の衣裳~王子・王女の衣裳~/朱漆と沈金の漆器
特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。
今月は、尚家資料から「王家の衣裳」と題して、王子・王女の衣裳をご紹介します。
今回ご紹介している衣裳は、成人前の王家の子女である、王子や王女が身に着けた衣裳です。
成人前の子どもの衣裳といえど、王家しか使用できなかった鮮やかな黄色地や、海外から輸入された高価な材料で染められた衣裳は、大人の衣裳と全く変わるところのない、王家ならではの格の高いものです。
これらの衣装は着用する子どもの体形や身長にあわせて柄の配置や大きさが調整され、一点ものとして特別に作られています。
調度品は、先月から引き続き「朱漆と沈金の漆器」をご紹介します。
琉球王国時代、漆器は中国や日本へ琉球の威信を示す献上品であり、王国の経済基盤を支える重要な工芸品でした。
王府は貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)を設置して生産管理を行い、その高度な品質を維持しました。
琉球での漆器製作は15世紀頃から始まり、16~17世紀に螺鈿(らでん)・箔絵(はくえ)・沈金(ちんきん)など様々な技法が発達しました。
17世紀の薩摩侵攻以後は日本の武家社会の「唐風好み」にあわせた中国的な意匠の黒漆(くろうるし)螺鈿の漆器が盛んに作られました。
漆器の中でも朱漆に沈金で緻密な模様を隙間なく埋め尽くしたものは、王家や上級士族だけが用いた格式の高いものとされています。
文書資料も先月に引き続き、琉球国王の衣裳に関する資料をご紹介します。
また、今回は沖縄県立芸術大学の所蔵する御後絵のパネルを展示しています。
御後絵とは、琉球国王の死後に描かれる肖像画で、原本は極彩色に彩られていたとされています。
鎌倉芳太郎が昭和初期に撮影した写真より10人の王の御後絵が確認されていますが、沖縄戦により原本は失われ、現在では白黒写真でのみその存在を知ることが出来ます。
展示しているのは尚育王の御後絵です。尚育王は18代目の国王として1835年に即位。この時期の琉球には欧米の外国船がひんぱんに来航し、対応に苦慮しました。また、能書家としても知られすぐれた作品を残しています。
※今回展示しているパネルは、城野誠治氏(東京文化財研究所)が開発した新たなデジタル化手法・画像形成によるもので、沖縄県立芸術大学の「重要文化財琉球芸術調査写真(鎌倉芳太郎撮影)のデジタル化に関する共同研究」の成果の一部です撮影。
王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。
琉球国王の衣裳/朱漆と沈金の漆器
特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。
今月は、尚家資料から「琉球国王の衣裳」をご紹介します。
尚家伝来の王装束は、王冠や唐衣裳など8点あります。
琉球国王の最高礼服で国内の重要な行事や中国との儀式の際に着装し、唐装束とも呼ばれています。
琉球は中国の臣下の国家として、国王の即位は、皇帝から王冠や唐衣裳などを下賜される冊封儀式で執り行われました。
三山時代武寧(1404)の冊封から第二尚氏の尚泰(1866)までの462年間に21回の冊封が行われました。
唐装束は、冊封体制を象徴する装束です。
伝来の品は、現存する唯一の琉球国王の装束として重要な歴史資料です。
調度品は「朱漆と沈金の漆器」をご紹介します。
琉球王国時代、漆器は中国や日本へ琉球の威信を示す献上品であり、王国の経済基盤を支える重要な工芸品でした。
王府は貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)を設置して生産管理を行い、その高度な品質を維持しました。
琉球での漆器製作は15世紀頃から始まり、16~17世紀に螺鈿(らでん)・箔絵(はくえ)・沈金(ちんきん)など様々な技法が発達しました。
17世紀の薩摩侵攻以後は日本の武家社会の「唐風好み」にあわせた中国的な意匠の黒漆(くろうるし)螺鈿の漆器が盛んに作られました。
漆器の中でも朱漆に沈金で緻密な模様を隙間なく埋め尽くしたものは、王家や上級士族だけが用いた格式の高いものとされています。
文書資料も琉球国王の衣裳に関する資料をご紹介します。
王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。
※「朱漆と沈金の漆器」は12月26日(火)まで
2023年度 国宝『玉冠』秋季特別公開
国内に唯一残る琉球国王の「玉冠」を、期間限定で特別公開します。
「玉冠」は、皮弁冠(ひべんかん)やタマンチャーブイとも呼び、琉球国王が即位儀礼である冊封(さっぽう)や重要な国内の儀式の際に着用した冠です。
戦前までは尚家にはこの冠とあわせて2、3個の冠が保存されていたとみられていますが、沖縄戦で所在が不明となり、現存している琉球国王の冠は、当館が保管するこの一点のみとなっています。
地方に移り住んだ士(サムレー)~「新発見」の自姓楚南家文書を読み解く~
楚南家は座波親雲上了好を系祖とする首里系の士(サムレー)です。
初代の了好は首里王府の高官であった名護良豊に仕え、国王から首里桃原村に家屋敷を賜りました。
しかし、十世了初以降は首里王府の役職に就けず、やがて佐敷間切に移り住むようになります。
移住先では会館地を獲得するなど、安定した収入の確保に努めました。
今回の企画展では、初公開の楚南家文書や伝世品をとおして、地方に移り住んだ士の実態を紹介します。
桃色地の衣裳/王家の宝剣
特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。
今月は、尚家資料から「桃色地の紅型衣裳」をご紹介します。
琉球で赤系統の色を染めるには、紅花(べにばな)や、蘇芳(すおう)・臙脂(えんじ)・唐朱(とうしゅ)などの天然の染料や顔料が使われていました。
いずれも中国との貿易で得られた高価な輸入品か、琉球では栽培が難しいものだったため、ロイヤルカラーといわれた黄色と同じく赤色を身に付けられるのは王族と一部の上級士族の人々に限られていました。
今回ご紹介している資料のひとつ「桃色地格子文様苧麻衣裳」は、紅花で染められています。紅花は、王国時代には宮古島周辺などのごく一部の地域で栽培され、「タラマバナ(多良間花)」と呼ばれて珍重されていました。
調度品は先月に引き続き「王家の宝剣」を3振同時に公開いたします。
山北王が中山王との戦いで敗北し、自害した伝説のある「号 千代金丸」。
宮古島の領主が尚真王に献上したとされる「号 治金丸」。
王府との関わりの印を刻した「号 北谷菜切」など、いずれも尚家王統の伝承に彩られた宝刀です。
千代金丸や北谷菜切の鞘や鍔などは琉球製ですが、刀身はいずれも日本製とされています。
文書資料も、『今帰仁グスクと山北監守』と題し、千代金丸と縁の深い今帰仁城に関する古文書をご紹介します。
「中山世譜(祭温本)」、「尚姓家譜(具志川家)」、「喜安日記」の文書を展示しています。
王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。
空色地の紅型衣裳/王家の宝剣
特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。
今月は、尚家資料から「空色地の紅型衣裳」をご紹介します。
王国時代の紅型衣裳は、白地、黄色地、紅色地など様々な地色がありますが、涼やかな水色地(空色地)の衣裳も数多く残されています。
青色の原料となる藍(あい)は、染める回数によってごく薄い水色から濃紺まで、様々な青色を染めることが出来ます。
藍染めには、本土では蓼藍(たであい)が多く使われますが、琉球では琉球藍、蓼藍、インド藍など複数の藍が使われました。
中でも亜熱帯気候の中で栽培しやすい琉球藍が最も多く利用されました。琉球ではこの藍で、浅地(水色地)や紺地の衣裳が作られました。
調度品は、「王家の宝剣」と題して、当館所蔵の刀剣を三振同時に公開します。
尚家伝来の刀剣は三振あります。
山北王が中山王との戦いで敗北し、自害した伝説のある「号 千代金丸」。
宮古島の領主が尚真王に献上したとされる「号 治金丸」。
王府との関わりの印を刻した「号 北谷菜切」など、いずれも尚家王統の伝承に彩られた宝刀です。
千代金丸や北谷菜切の鞘や鍔などは琉球製ですが、刀身はいずれも日本製とされています。
文書資料も、『今帰仁グスクと山北監守』と題し千代金丸と縁の深い今帰仁城に関する古文書をご紹介します。
「中山世譜(祭温本)」、「尚姓家譜(具志川家)」、「喜安日記」の文書を展示しています。
※「王家の宝剣」は10月30日(月)まで