展示会詳細
戦地からの便り 伊藤半次の絵手紙と沖縄戦
会期:2017-04-28(金) ~ 2017-06-27(火)
日中戦争勃発後、満州で戦った伊藤半次は、その絵心から福岡の家族に約400通もの絵はがきを送りました。1944年沖縄に転出した部隊とともに伊藤は沖縄で戦い、戦死しました。
本企画展では、伊藤の絵はがきと沖縄戦について紹介します。
主な展示品
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沖縄戦上陸・戦闘/艦砲射撃の雨(慶良間上陸 1945年3月26日)
72年前の沖縄戦で、福岡県出身の陸軍兵士、伊藤半次は32歳の若さで戦死しました。
伊藤は、1913年生まれ。19歳の時、中洲にあった老舗提灯店「伊藤商店」の長女禮子と結婚しました。提灯職人として腕を磨くため、日本画の先生に師事しましたが、1940年27歳で召集され、福岡県小倉の野戦重砲隊に入隊、翌年、関東軍の一隊として満州に移動しました。
伊藤は、満州移動後、家族に宛てて400通もの便りを送りました。便りは、軍隊生活を描いたもの、家族を想って描いたものなど、日本画の修業を生かした色彩のある絵や文章で、心温まるものばかりです。
その伊藤が所属する部隊は、1944年10月下旬に、満州から沖縄に配備されました。沖縄守備隊第32軍直属の野戦重砲兵第23連隊、通称「球3109隊」です。この部隊は、首里の北方前線及び南部で米軍と対峙しましたが、沖縄戦でほぼ全滅しました。部隊が沖縄に配備された後、伊藤の家族の元に届けられた便りは、わずか3通でした。
沖縄から送られた3通はどのような便りだったのか、なぜ、3通だったのか。今回の企画展では、福岡の家族の元に届けられた伊藤の便りを展示するとともに、伊藤の部隊を中心に72年前の沖縄戦の様子を紹介します。
この機会に、伊藤の便りを通して、家族を想いやる気持ちを実感していただきたいとともに、家族を想いながらも、その想いをかなえることができなかった戦争という状況を、改めて考えていただければ、幸いです。
伊藤半次とは
伊藤半次の肖像
伊藤半次は、1913年生まれ。
19歳の時、中洲にあった老舗提灯店「伊藤商店」の長女禮子と結婚し、提灯職人として腕を磨くため、
日本画家の先生に師事し、絵を学びました。しかし、1940年27歳で召集され、福岡県小倉の野戦重
砲隊に入隊、翌年、関東軍の一隊として満州に移動しました。
伊藤は、満州移動後、沖縄に転戦するまでの約3年の間に家族に宛てて400通もの便りを送りました。
便りは、軍隊生活を描いたもの、家族を想って描いたものなど、日本画の修業を生かした色彩のある絵
や文章でした。