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知事官舎跡(チジカンシャアト)

知事官舎跡(チジカンシャアト)

 大正から戦前期まで、この地にあった沖縄県の知事官舎跡。
 1879年(明治12)3月、明治政府は琉球王国(当時琉球藩)を廃し、沖縄県を設置した(琉球処分)。県庁は、西村(にしむら)(現那覇市西)にあった旧薩摩藩在番奉行所があてられ、初代県令(1886年から県知事)には鍋島直彬(なべしまなおよし)元肥前鹿島(ひぜんかしま)藩主(現佐賀(さが)県)が就任した。1945年(昭和20)の沖縄戦に至るまで、27名の県令(5代)・県知事(23代)が政府から派遣された。
 当初の知事官舎の場所は不明だが、1892年(明治25)7月に就任した第4代奈良原繁(ならはらしげる)知事は、那覇区字久茂(地くもじ)の官舎(現沖縄県庁周辺)を住居とし、1908年(明治41)4月に就任した第5代日比重明(ひびしげあき)から第8代小田切磐太郎(おだぎりいわたろう)知事までは、通堂(とんどう)官舎(現那覇市通堂町)が使用された。
 1916年(大正5)11月、第9代鈴木邦義(すずきくによし)知事の時に、松尾山(マーチューヤマ)(現松山(まつやま)公園一帯)の西端、通称「福木山(ふくぎやま)」と呼ばれる地に、知事官舎が新築された。敷地は約540坪、赤瓦葺きの平屋建てで、格子窓の洋風の建物であった。以後、1944年(昭和19)10月10日の10・10空襲で焼失するまで、歴代知事の官舎として使用された。
 終戦後、跡地は米人向けの外人住宅地となっていたが、後に開放され、1992年(平成4)に開園した中国式庭園「福州園(ふくしゅうえん)」の敷地の一部となった。
 なお、知事官舎一帯は、1844年以来、泊村(とまりむら)(現那覇市泊)の聖現寺(せいげんじ)に逗留し、布教を進めていたフランス人宣教師が、新たな拠点として1856年に家屋を建てて住み着いた地といわれる。

所在 那覇市久米2-29
分類 歴史
場所 旧那覇
備考 モノレール県庁前駅より徒歩約7分。福州園周辺。