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熊本鎮台分営所跡(クマモトチンダイブンエイショアト)

熊本鎮台分営所跡(クマモトチンダイブンエイショアト)

 日本陸軍熊本鎮台分遣隊(くまもとちんだいぶんけんたい)の駐屯地跡。
 明治維新を成し遂げた新政府は、領土確定を図るため、日清両属体制(にっしんりょうぞくたいせい)をとる琉球国の処遇問題に着手し、1872年(明治5)琉球国を「琉球藩」として扱った。さらに、1875年(明治8)5月「藩内保護」の名目で熊本鎮台分遣隊の派遣を決定し、真和志間切古波蔵村(まわしまぎりこはぐらむら)周辺の18,603坪余を駐屯地(ちゅうとんち)敷地とし、兵舎(へいしゃ)・練兵場(れんぺいじょう)等を設置した。
 1879年(明治12)3月25日、処分官松田道之(まつだみちゆき)とともに分遣隊(ぶんけんたい)2個中隊400名余が那覇港に到着した。同27日松田処分官が沖縄県設置、首里城明け渡し等の処分を断行し、31日に分遣隊の一個中隊が首里城に入城した。翌年、陸軍は駐屯地を首里城と定め、古波蔵駐屯地は使用されなくなった。
 日清戦争後の1896年(明治29)7月に分遣隊の沖縄派遣が終了したため、古波蔵駐屯地は農事(のうじ)試験場用地として使用された。1909年(明治42)に真和志村が敷地の払い下げを受けたが、1928年(昭和3)に、改めて敷地約4,000坪余を陸軍へ提供し、在郷軍人の演習等に使用された。これ以降、付近住民は一帯を「兵隊屋(ヒータイヤー)」と呼んだ。
 沖縄戦後、この一帯は米軍の貯油施設(ちょゆしせつ)(ガソリンタンク)として使用されていたが、1972年(昭和47)に沖縄の本土復帰とともに返還され、区画整理事業の実施(1971 ~ 1991年)により、住宅地となった。一帯は現在でも「タンク跡」と呼ばれている。

所在 那覇市字古波蔵393 ちびっこ公園
分類 歴史
場所 旧真和志
備考 国道330号線「楚辺」交差点より徒歩約7分。ちびっこ公園内