那覇市内史跡・旧跡詳細
開南(カイナン)
この地域一帯の通称地名。地名の由来は、付近に建てられた学校名による。
かつて、この一帯は真和志間切与儀村(まわしまぎりよぎむら)(現那覇市与儀)の村外れで、墓が点在する場所であった。
大正期になると、付近に沖縄県立第二中学校(現那覇(なは)高等学校)、沖縄県庁、沖縄刑務所等が相次いで移設され、にわかに人口が増え始めた。このため、1928年(昭和3)に与儀から樋川原(ひがわばる)・神里原(かんざとばる)が分離され、字樋川(あざひがわ)という行政区が誕生した。
1936年(昭和11)、樋川の高台に、私立開南中学校(志喜屋孝信(しきやこうしん)校長)が開校した。校名は、1911年(明治44)に白瀬(しらせ)隊長率いる日本初の南極(なんきょく)探検隊が乗り込んだ「開南丸(かいなんまる)」に因(ちな)み、「日本の南を開く」との意図のもとで命名された。
1945年(昭和20)の沖縄戦により、開南中学校は廃校となったが、開南中学校跡地に、1947年(昭和22)6月に開南初等学校が創設され、再び「開南」の校名が付けられた。
同年11月頃、この地から松尾(まつお)に向かう道途中に闇市(やみいち)が発生した。闇市取締のため、後に牧志(まきし)(現牧志公設市場(こうせついちば)一帯)に市場が開設されたが、市場への買い物や品物運搬などで、一帯の交通量が激増した。バス路線開通後は、「開南バス停」が設置され、特に島尻(しまじり)方面から市場や牧志への乗降所として賑わいを見せた。
開南小学校は、1952年(昭和27)に泉崎(いずみざき)へ移転したものの、バス停を始め、付近の病院・商店等が「開南」の名を冠し、戦後この一帯の地名として定着した。
所在 | 那覇市松尾2丁目 開南交差点バス停 |
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分類 | 地名・名勝 |
場所 | 旧真和志 |
備考 | 県道222号線開南せせらぎ通り「開南」バス停近く。 |