那覇市内史跡・旧跡案内

那覇市内史跡・旧跡詳細

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赤畑(アカバタキー)

 かつて漫湖(まんこ)に突き出ていた小丘の名称。この付近は赤畑原(あかばたきばる)といい、真和志村字壺川(まわしそんあざつぼがわ)(現那覇市壺川)の小字地名であった。
 丘の上には松が生えており、奥武山(おうのやま)・ガーナー森(ムイ)とともに漫湖の景観に趣を与えていたという(『南島風土記(なんとうふどき)』)。また丘の中腹は墓が点在し、平地は、対岸の小禄村(おろくそん)の人々が耕すイ草(いぐさ)の畑であった(『那覇市史』2-7)。
 沖縄戦後、急激な人口増加に対応するため、1957年(昭和32)に真和志市(まわしし)は琉球政府(りゅうきゅうせいふ)に対し、赤畑から南東側に広がる兼久原(かねくばる)地先一帯(現古蔵(こくら)中学校に至る国道507号線より漫湖側)約55,000坪余の埋立申請を行った。同年12月の真和志市との合併により那覇市は、1959年(昭和34)に埋立を行い、工場用地・宅地として区画整理したが、現在、工業用地のほとんどが漫湖公園となっている。
 一方、赤畑から北西側は、1959年にベニヤ板製造工場が建設され、漫湖にはベニヤ板用資材の丸太が大量に浮かんでいた。1978年(昭和53)、ベニヤ工場の整理統合により、赤畑は削られ、一帯は埋立・区画整理が行われ、住宅地となった。
 なお、赤畑から小禄地域に架かる那覇大橋は、1970年(昭和45)7月に開通した。

所在 那覇市壺川2-10-6 県営大橋市街地住宅内
分類 地名・名勝
場所 旧真和志
備考 県道222号線「大橋」バス停近く。