那覇市内史跡・旧跡案内

那覇市内史跡・旧跡詳細

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武徳殿跡(ブトクデンアト)

 大日本武徳会沖縄支部によって建てられた武道場跡。
 大日本武徳会は、武道を奨励し、武徳の涵養(かんよう)を目的に、1895年(明治28)4月、京都で設立された。各府県に支部を置き、警察組織を通じて、武道の普及と振興を図った。
 沖縄支部は、1933年(昭和8)12月に設立し、さらに、専用の演武場「武徳殿」の建設機運が高まると、支部役員・武道関係者・県下警察署が中心となり、寄付金を集め、建設資金とした。
 建設地は、沖縄県庁構内警察練習所とされ、大城龍太郎(おおしろりゅうたろう)警察部技手の設計により、1938年(昭和13)6月に起工、翌年竣工した。
 敷地は約330坪、神明入母屋(しんみょういりもや)造りの瓦葺きで、鉄筋コンクリート造り地下1階、地上2階建てであった。竣工後の6月18・19日には、武徳会会長林銑十郎(はやしせんじゅうろう)陸軍大将以下関係者を招き、開殿式や柔剣道・空手の古式型模範演技が行われ、記念大会も開かれた。
 武徳殿は、武道大会や普及・指導の場所として、武道のメッカとされたが、戦時体制下では、軍需物資の保管庫に転用された。1944年(昭和19)10月10日の10・10空襲や、その後の地上戦では、一部損壊しただけで戦災を免れ、米軍より「Increate JapaneseStyle」(不滅の和風建築)と賞された。
 米軍に接収された武徳殿は、1947年(昭和22)4月に将校クラブとして改修され、舞踏会も開かれた。1949年(昭和24)、沖縄民政府に譲渡され、行政庁舎として使用された。1959年(昭和34)からは、警察武道場となった。
 1985年(昭和60)、沖縄県庁舎の新築、それに伴う武徳殿の取り壊し計画が発表されると、保存運動も起きたが、1989年(平成元)9月に解体された。跡地は沖縄県議会棟敷地の一部となった。

所在 那覇市泉崎1-2-3
分類 歴史
場所 旧那覇
備考 国際通り「県庁北口」バス停より南へ徒歩約2分。沖縄県議会事務局花壇内。