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旧一日橋跡(キュウイチニチバシアト)

旧一日橋跡(キュウイチニチバシアト)

 国場川(こくばがわ)に架けられた橋跡。琉球王国時代は、この一帯の川は板敷川(イチャジチガー)と呼ばれていたため、橋も板敷橋(イチャジチバシ)と呼ばれた。
 橋は、南風原間切(はえばるまぎり)(現南風原町)や東風平間切(こちんだまぎり)(現八重瀬町(やえせちょう))と首里(しゅり)を結ぶ重要な橋で、古くから木橋が架けられていた(架橋年不明)。成化(せいか)年間(1465 ~ 87年)、東風平村(現八重瀬町字東風平)の国吉(くによし)という者が、洪水のたびに橋が損壊するのを見て、土台に石組の防水基(ぼうすいき)(潮切(しおきり))を築き、堅固な橋としたので、時の国王尚真(しょうしん)より褒賞(ほうしょう)されたという(『球陽(きゅうよう)』尚真王附条)。
 しかし、依然として橋は木製であったため、1689年、石橋に改修された。石橋の完成を記念して、橋を見下ろす識名(しきな)台地に、「板敷橋記(いたじきばしき)」碑が建立された。
 一日橋の名は、1511年、尚真王の養父花城親方守知(はなぐすくウェーカタしゅち)の葬送に際し、損壊した橋を一夜二昼の一日で修繕したという伝承(『球陽』尚真王35年条)に由来するとされるが、板敷橋からの音韻(おんいん)転訛との説もある。
 1945年(昭和20)の沖縄戦当時、一日橋一帯は、首里から南部へ避難する交通の要衝(ようしょう)にあたっていたため、多くの犠牲者を出し、橋も破壊された。終戦直後、米軍により鉄橋が架けられたが、その後、橋より50mほど上流に架けられていた沖縄県営鉄道(軽便(ケービン)鉄道)与那原(よなばる)線の鉄橋跡を利用して、那覇と与那原を結ぶ道路(現国道329号)が開通し、一日橋として架け替えられた。

所在 那覇市字上間 一日橋交差点
分類 地名・名勝
場所 旧真和志
備考 国道329号線「上間」交差点近く。HondaCars沖縄前。