那覇市内史跡・旧跡詳細
安里村射的場跡(アサトムラシャテキジョウアト)
陸軍熊本鎮台沖縄分遣隊(くまもとちんだいおきなわぶんけんたい)の射撃訓練場跡。
1879年(明治12)の沖縄県設置(琉球処分)を行うにあたり、沖縄に派遣された熊本鎮台沖縄分遣隊は、1890年(明治23)2月に、安里村(あさとむら)(現大道(だいどう)・松川(まつがわ)一帯)の畑地17,580坪余を取得し、練兵場(れんぺいじょう)・射的場(しゃてきじょう)用地とした。
練兵場の南側に接する射的場は、長さ約650m、幅約30mの直線で、高さ約17m佐久間森(さくまムイ)(現松川小学校敷地)と呼ばれる丘に向け、射撃訓練が行われた。
分遣隊派遣終了(1896年[明治29])後は、練兵場は学校用地(現大道小学校)に、射的場は在郷軍人等の演習に使われた。射的場の丘は、演習がない時などは、近くの沖縄女子師範・第一高等女学校の生徒達の憩(いこ)いの場で、「ローレライ」と呼んでいたという。
沖縄戦後、一帯は学校や住宅が建ち並ぶが、まっすぐに延びた公園や練兵橋の名に当時の面影が残されている。
所在 | 那覇市三原2-21 松川公園内 |
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分類 | 歴史 |
場所 | 旧真和志 |
備考 | 喜多通り「三原十字路」バス停より北へ約39m。松川公園内。 |