那覇市内史跡・旧跡詳細
大道松原跡(ウフドーマツバラアト)
大道松原(ウフドーマツバラ)は、琉球王国時代、現在の首里観音堂付近から大道(だいどう)地域にかけて続いていた見事な松並木の呼称。旅立ちの謡(うた)として知られる「上り口説(ヌブイクドゥチ)」にも登場する景勝の地であった。
大道地域には「大道毛( ウフドーモー)」と呼ばれる小高い丘があり、1501年に尚真(しょうしん)王は、尚家宗廟(そうびょう)の円覚寺(えんかくじ)を修理するための材木として、この丘に松の苗一万株を植えさせた。俗に「サシカエシ松尾之碑文(マーチューヌヒムン)」といわれる碑を建立した。
当時「万歳嶺(ばんざいれい)」(現観音堂)、「官松嶺(かんしょうれい)」(現都ホテル付近)から、この「大道毛」を含む大道地域にかけて、松並木が続いていたのである。
1879年(明治12)の沖縄県設置後、これらの松並木は切り倒され、1945年(昭和20)の沖縄戦で大道毛にあった碑も消滅した。戦後、道路の拡張整備や宅地化により、周辺は大きく様変わりした。
所在 | 那覇市字大道56 |
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分類 | 地名・名勝 |
場所 | 旧真和志 |
備考 | 2000年(平成12)4月設置。平成11年度旧跡標示事業。坂下琉生病院前。 |