那覇市内史跡・旧跡詳細
ナナユヒービラ
安謝(あじゃ)から天久(あめく)に至る坂の名称。名前は、近接する「七与平利田(ナナユヒイタ)」と称する田んぼに由来する。
かつて、広い田畑を有する者が天久村に居り、身売りした7人の主人として、彼らにその田畑を耕作させていた。ある時、主人は、安謝村にある私有の田んぼを7人に与えた。彼らは、これまでにも増して主人の仕事に精を出し、また、時間を作っては自らの田んぼを耕し、収益を上げ、ついには、借金を返済したという。近隣の人々は、大いに感心し、7人に与えられた田んぼを、「七与平利田」と称したという(『遺老説伝(いろうせつでん)』)。
ナナユヒービラは、沖縄戦以前は、中・北部と那覇(なは)を結ぶ主要道の一部で、製糖期には、砂糖樽(サーターダル)を積んだ馬車が、那覇の港に向かって列をなしていたという。
1945年(昭和20)の沖縄戦の後、米軍により道幅が広げられ、軍道1号線となり、1972年(昭和47)の本土復帰後は、国道58号となった。1991年(平成3)に、坂の途中から浦添市勢理客(うらそえしじっちゃく)にかけて、高架橋が開通した。
所在 | 那覇市字安謝234 |
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分類 | 地名・名勝 |
場所 | 旧真和志 |