那覇市内史跡・旧跡詳細
みなと村役場跡(ミナトソンヤクバアト)
沖縄戦後に、特別に設置された行政区みなと村の役場跡。
1945年(昭和20)の沖縄戦の後、米軍専用となった那覇港における米軍需物資や民間の食料品等の荷役作業は、当初日本軍捕虜(ほりょ)によって行われたが、捕虜の解放、本土への引揚げにより、沖縄県民約2千人の那覇港湾作業隊(なはこうわんさぎょうたい)が組織された。
この作業隊及びその家族を含めて約1万人の生活・労務管理等を円滑に行うため、1947年(昭和22)5月1日に、当時の沖縄民政府がみなと村を設置した。初代村長には港湾作業隊の指揮を執っていた国場幸太郎(こくばこうたろう)が就任した。役場庁舎には奥武山(おうのやま)の世持神社(よもちじんじゃ)の建物が使用された。
村の行政区域は、奥武山を中心に戦前の那覇市山下町、真和志(まわし)村の楚辺(そべ)・松尾(まつお)・壺川(つぼがわ)など約23万坪にも及んだ。また米軍のテントカバーで作られた規格住宅が1世帯に1棟ずつ割り当てられ、奥武山などの区域内には規格住宅が建ち並んだ。
1950年(昭和25)になると、港湾作業が民間業者の請負制になったため、村存続の意義がなくなり、同年8月1日に那覇市に合併し、みなと村は解消された。
所在 | 那覇市奥武山町42-3 |
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分類 | 歴史 |
場所 | 旧真和志 |
備考 | 2002年(平成14)4月設置。平成13年度旧跡標示事業。モノレール奥武山公園駅より徒歩約8分。奥武山公園内。 |