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山川殿内の墓 調査写真

 令和6年9月1日、那覇市識名霊園内にある山川殿内の墓を調査したときの写真。今回は永代供養のため墓を開けたが、墓自体は廃棄せず、そのまま別の家が使用する可能性がある。山川家の墓の敷地内には、本村家の墓も建造されていた。   山川家墓室内の棚の中心に据えられた御殿型厨子は山川朝矩、隣の厨子は山川朝孝である。特に山川朝孝の厨子には、「高嶺按司墓所」から1805年に墓を移転したと記載があり、今回調査した墓はこの頃に移転した可能性が高い。山川朝孝の唐名は向延器であり、5-479向姓家譜(高嶺家)に拠ると高嶺家の四世浦添按司朝基(向岱徳)の次男と記載されている。さらに同項目には「山川親方、別有家譜」(家譜そのものの現存は未確認)と見え、朝孝の代で山川家として分家したことがわかる。「高嶺按司墓所」からの移転は、この分家に伴う処置だったと考えられる。また、山川朝孝の厨子は山川家の墓のなかで2番目に古い年号の銘書があり、この厨子を中心に山川家の歴代厨子が配置されている。   その他、墓室内には墓中符(墓中に納められた陶板の呪符、№24・25)や棺を設置するときに使用したと考えられる基礎石も見られた。

項目 内容
資料名 山川殿内の墓 調査写真
資料コード 2021666
資料名ヨミ ヤマガードゥンチのはか ちょうさしゃしん
資料形態 データ
分類 風俗・民俗/人物
受入区分 寄贈
受入年月日 2025/2/27
撮影時期 復帰後(1972年以後)
撮影年 2024
撮影対象地 識名霊園