那覇市内史跡・旧跡詳細
真和志間切番所跡(マワシマギリバンジョアト)
琉球王国時代から、1908年(明治41)にかけての行政単位である真和志間切の行政を管轄した番所(役所)跡。
南風原(はえばる)・西原(にしはら)間切とともに首里王府の直轄領であった真和志間切は、当初、那覇なども含む広大な間切であった。その後、那覇・久米村(くめむら)の独立、小禄間切(まぎり)の分離設置などによって、真和志間切は天久(あめく)・識名(しきな)・国場(こくば)など12 ヵ村(むら)をもって構成された。間切番所は、上間(うえま)村に置かれ、地頭代(ジトゥーデー)以下の間切役人が、村々の耕作状況や年貢収納などの監督・指導を行った。
1879年(明治12)の沖縄県設置後、1899年(明治32)の沖縄県間切島吏員規定(おきなわけんまぎりしまりいんきてい)により番所は役場、間切役人は間切長・書記などと改称された。さらに1908年(明治41)4月の沖縄県及島嶼町村制(おきなわけんおよびとうしょちょうそんせい)の施行により、間切は町村(ちょうそん)となり、真和志間切は真和志村(そん)となった。
真和志間切番所は、その後も間切役場・村役場庁舎として使用された。1926年(大正15)に国場(現真和志支所敷地)へ移転して、1957年(昭和32)に、那覇市との合併で那覇市真和志支所庁舎となった。
所在 | 那覇市上間1-7 |
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分類 | 歴史 |
場所 | 旧真和志 |
備考 | 2002年(平成14)4月設置。平成13年度旧跡標示事業。那覇上間郵便局近く。 |