展示案内

展示会一覧

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開催終了 特別展 会期:2022-07-29 (金) 〜 2022-08-29 (月)

縞と絣の夏衣裳/尚家の姫の嫁入り道具~神山家旧蔵資料~

 特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。


 8月の美術工芸資料は、染織資料から『縞と絣の紅型衣裳』をご紹介します。
 琉球王国時代、王家から庶民まで広く着用されたのが、縞と絣模様の衣裳でした。
 庶民は、年間を通じて芭蕉(ばしょう)の生成り色に単純な縞模様の入った衣裳を身に付けました。一方で、王家や上級士族は、夏の間は苧麻(ちょま)や芭蕉を黄や赤など様々な色に染め、絣や縞、格子で模様をほどこした華やかな衣裳を身に付けました。
 これらの衣裳には、縞模様に部分的に木綿糸を織り込んだり、縞の太さを細かく変化させるなど、素材や色の違いで模様にアクセントをつける細やかな工夫がなされました。

 調度品は、7月に引き続き『尚家の嫁入り道具~神山家旧蔵資料~』と題して、尚泰の子女、八重子が神山家に嫁入り道具として持参したと伝わる漆器や染織品を紹介します。
 展示している朱漆の文箱と櫛箱は、八重子が神山家に持参したもので、那覇市に1981年に神山氏の子息・政敏氏より寄贈されました。表面に沈金で尚家の家紋である左巴紋(ヒジャイグムン)が配されています。
 龍文緞子裂(りゅうもんどんすぎれ)は、神山氏の孫にあたる川島氏より2021年に当館に寄贈されました。琉球国王が重要な儀式の際に着用する「王衣裳(おういしょう)」と酷似した龍文様の絹地で、琉球では王家のみが使用できる特別な意味を持つ布地であることから、八重子の嫁入り道具の一部と考えられます。色とりどりの鮮やかな文様が琉球王奥の栄華をしのばせます。

 文書資料も7月から引き続き、尚家資料より、進貢船と接貢船についての資料を紹介します。
 琉球王国から中国への進貢(みつぎものを献上すること)は、1372年に中山王察度が入貢して以来500余年にわたって継続されました。進貢品を積んだ船を進貢船と呼び、進貢使節を琉球に連れて帰るため、中国に派遣した船を接貢船と呼びました。


 王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をどうぞご覧ください。


 ※なお、現在展示している玉冠は複製(レプリカ)です。


開催終了 企画展 会期:2022-07-01 (金) 〜 2022-08-29 (月)

タイムスリップEXPO’75 ~「望ましい未来」から海洋博を振り返る~

 沖縄国際海洋博覧会(略称:海洋博)は1975年7月20日から1976年1月18日の約6か月間にわたり、本部半島を会場に開催されました。メインテーマは「海-その望ましい未来」。海洋に特化した特別博覧会であり、1972年の日本復帰記念事業として行われたのが大きな特徴です。

 日本から切り離された事で経済的に立ち遅れ、復帰を境に「本土並み」との声が高まっていた時代、沖縄にとって海洋博は一大チャンスだったのです。

 ところが大規模工事の多くは県外企業が請け負い、土地の買い占めなどで物価も上昇、急激な開発による自然破壊などで反対運動も起きました。入場者数も目標の450万人を大きく下回る350万人にとどまり、観光客をあてこんで作られた宿泊施設、土産品店、建設業など企業の倒産も相次ぎ、海洋博不況と言われました。

 しかし、現代から海洋博を振り返ってみると、必ずしもマイナスだったようには思えません。青い空青い海といった沖縄のイメージを確立し、現代に続く観光立県としての基礎ができあがったのは海洋博がきっかけといっていいでしょう。また、沖縄館で展示された沖縄独特の歴史や文化は、首里城再建を契機に沖縄文化が注目され90年代に起きた沖縄ブームに繋がっていく、その先駆けだったともいえます。

 復帰から50年が経ち海洋博を知らない世代も増えてきました。そこで今回の企画展では、現代からタイムスリップして海洋博の魅力を紹介し、海洋博が望ましい未来へ残したものとは何だったのかを振り返ります。


開催終了 特別展 会期:2022-07-01 (金) 〜 2022-07-27 (水)

空色地の紅型衣裳/尚家の姫の嫁入り道具~神山家旧蔵資料~

 7月の美術工芸資料は、染織資料から『空色地の紅型衣裳』をご紹介します。

 王国時代の紅型衣裳は、白地、黄色地、紅色地など様々な地色がありますが、涼やかな空色地(水色地)の衣裳も数多く残されています。
 青色の原料となる藍は、染める回数によってごく薄い水色から濃紺まで、様々な青色を染めることが出来ます。
 藍染には、本土では蓼藍(たであい)が多く使われますが、琉球では琉球藍、蓼藍、インド藍など複数の藍が使われました。中でも亜熱帯気候の中で栽培しやすい琉球藍が最も多く利用されました。琉球ではこの藍で、浅地(水色地)や紺地の衣裳が作られました。

 調度品は、『尚家の嫁入り道具~神山家旧蔵資料~』と題して、尚泰の子女、八重子が神山家に嫁入り道具として持参したと伝わる漆器や染織品を紹介します。
 展示している朱漆の文箱と櫛箱は、八重子が神山家に持参したもので、那覇市に1981年に神山氏の子息・政敏氏より寄贈されました。表面に沈金で尚家の家紋である左巴紋(ヒジャイグムン)が配されています。
 龍文緞子裂(りゅうもんどんすぎれ)は、神山氏の孫にあたる川島氏より2021年に当館に寄贈されました。琉球国王が重要な儀式の際に着用する「王衣裳(おういしょう)」と酷似した龍文様の絹地で、琉球では王家のみが使用できる特別な意味を持つ布地であることから、八重子の嫁入り道具の一部と考えられます。色とりどりの鮮やかな文様が琉球王奥の栄華をしのばせます。

 文書資料は、尚家資料から、進貢船と接貢船についての資料を紹介します。
 琉球王国から中国への進貢(みつぎものを献上すること)は、1372年に中山王察度が入貢して以来500余年にわたって継続されました。進貢品を積んだ船を進貢船と呼び、進貢使節を琉球に連れて帰るため、中国に派遣した船を接貢船と呼びました。


 王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をどうぞご覧ください。

 ※なお、現在展示している玉冠は複製(レプリカ)です。


開催終了 特別展 会期:2022-06-03 (金) 〜 2022-06-27 (月)

流水文様の紅型衣裳/黒漆と螺鈿の漆器

 特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。


 6月の美術工芸資料は、染織資料から『流水文様(りゅうすいもんよう)の紅型(びんがた)衣裳』をご紹介します。
 紅型は型紙(かたがみ)を使用して染める染色技法のため、文様は一定のパターンを等間隔で繰り返して展開されます。また、型紙は表裏両面が使用できるため、文様を裏返して染めることもできます。
 今回展示している衣裳は、文様が繰り返すという特徴を生かし、流水文様が左右対称になるように染めたのち、模様がつながるように縫製し、背中一面に水が流れているかのような動きを生み出しています。
 実際に使われている型紙は1枚にもかかわらず、細部まで計算された染めと縫製により、ダイナミックで動きのある見事なデザインになっています。


 調度品は、5月に引き続き『黒漆(くろうるし)と螺鈿(らでん)の漆器』と題して、当館所蔵の螺鈿漆器をご紹介します。
 琉球での漆器製作は15世紀頃から始まり、螺鈿(らでん)、箔絵(はくえ)、沈金(ちんきん)、堆錦(ついきん)など様々な技法が発達しました。中でも螺鈿は、材料であるヤコウガイが琉球の近海で手に入る事もあり、17世紀頃から盛んに利用されるようになりました。大きな貝片をふんだんに使った豪華な螺鈿漆器は、中国皇帝へも献上され、北京故宮博物館には現在でも螺鈿の琉球漆器が多数保管されています。


 文書資料も、5月に引き続き『即位』『冊封と冊封使の来琉』と題し、尚育王と尚泰王の即位儀礼に関わる資料を、首里城で行われていた冊封儀式の再現の画像と共にご紹介します。


 王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をどうぞご覧ください。


 ※なお、現在展示している玉冠は複製(レプリカ)です。


開催終了 企画展 会期:2022-05-13 (金) 〜 2022-06-27 (月)

日本復帰50周年記念企画展「時をかける那覇」

 1972年5月15日、様々な課題を抱えながらも沖縄は日本復帰を果たしました。復帰後の那覇市では、都市開発が急速に進んでいくことになります。

 1986年には小禄地域にあった那覇空軍・海軍補助施設が、翌年には真和志地域にあった牧港住宅地区がアメリカ軍から返還され、大規模な整備事業が進められていきました。さらに首里地域では、1989年に首里城正殿の復元工事が始まりました。長期にわたるモノレール計画も実現しました。

 今回の企画展では、復帰から50年という歳月をかけ抜けた那覇の移り変わりを紹介します。

 なお、展示室では沖縄復帰祈念式典における屋良朝苗沖縄県知事のあいさつの音声を聞くことが出来ます。さらにロビーでは1971年の撮影された那覇の動画もご覧になれます。こちらも併せてお楽しみください。


開催終了 特別展 会期:2022-04-29 (金) 〜 2022-06-01 (水)

牡丹が描かれた衣裳/黒漆と螺鈿の漆器

 特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。


 5月の美術工芸資料は、染織資料から『牡丹(ぼたん)が描かれた衣裳』をご紹介します。
 牡丹は、中国で古来より「百花(ひゃっか)の王」とされ、宮廷の庭に植えられ王侯貴族の花として尊ばれてきました。
 尚家伝来の衣裳にも、紅型(びんがた)や刺繍(ししゅう)で牡丹を描いた衣裳が数着あります。そのどれもが、王家の人々がまとうのにふさわしい、衣裳全体に大輪の牡丹を大胆にあしらった華やかなものとなっています。


 調度品は、『黒漆(くろうるし)と螺鈿(らでん)の漆器』と題して、当館所蔵の螺鈿漆器をご紹介します。
 琉球での漆器製作は15世紀頃から始まり、螺鈿(らでん)、箔絵(はくえ)、沈金(ちんきん)、堆錦(ついきん)など様々な技法が発達しました。中でも螺鈿は、材料であるヤコウガイが琉球の近海で手に入る事もあり、17世紀頃から盛んに利用されるようになりました。大きな貝片をふんだんに使った豪華な螺鈿漆器は、中国皇帝へも献上され、北京故宮博物館には現在でも螺鈿の琉球漆器が多数保管されています。


 文書資料は、『即位』『冊封と冊封使の来琉』と題し、尚育王と尚泰王の即位儀礼に関わる資料を、首里城で行われていた冊封儀式の再現の画像と共にご紹介します。


 王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をどうぞご覧ください。


 ※なお、現在展示している玉冠は複製(レプリカ)です。


開催終了 特別展 会期:2022-04-01 (金) 〜 2022-04-27 (水)

三ツ巴紋の紅型衣裳/三線と工工四

 特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。


 4月の染織資料は、尚家の家紋である三ツ巴(ヒジャイグムン)紋が染められた紅型衣裳を紹介します。
 日本本土では家紋はその家の氏を表す重要なものですが、琉球ではその家の所有であることを示す道具紋としての意味合いが強く、風呂敷、文箱、衣裳箱などに使用されました。また、琉球では正式な衣裳に家紋を付けるという習慣はありませんでした。
 今回展示している衣裳は全て三ツ巴紋が配されていますが、小さく全体に散りばめられていることから、道具紋と同じような捉え方をしているものと思われます。

 また、3月から引き続き『三線と工工四(クンクンシ―)』と題して、当館所蔵の三線と胡弓、尚家に伝わる工工四をご紹介します。
 三線は14~15世紀頃に中国から伝わったといわれています。琉球では、海外からの賓客をもてなす場で演じられる歌舞音曲を担当するのは士族男子であったため、士族の教養として三線の習得が奨励されました。近代以降庶民の間にも広く根付き、人々の生活に溶け込んでいます。
 工工四は琉球古典音楽の楽譜です。屋嘉比朝寄(やかび ちょうき/1716~1775)が中国の楽譜を参考にして作ったのが最初といわれています。この工工四は「欽定(きんてい)工工四」ともいわれ、琉球国王尚泰の上意によって、咸豊8年(1858)に野村流の租である野村安趙(のむらあんちょう)と高弟の松村真信(まつむらしんしん)の師弟によって完成されました。

 文書資料は、川平親雲上朝彬(ちょうひん)関連資料を紹介します。朝彬は、最後の琉球国王尚泰に仕え、野村安趙に歌・三線を師事した人物です。資料は尚家伝来の「工工四』のほか、川平家資料より「歌道要法」、「琉歌言葉之仮名綴 見合(りゅうかことばのかなつづりみあわせ)」、「三線四種之調子音調之次第 外(さんしんよんしゅのちょうしおんちょうのしだい ほか)」をご紹介します。

 王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をどうぞご覧ください。


開催終了 常設展 会期:2022-03-11 (金) 〜 2022-05-09 (月)

【2021年度常設展】王朝文化と都市(まち)の歴史

 「王朝文化と都市(まち)の歴史」をテーマに士族の履歴を記録した家譜や、首里王府の行政文書、美術工芸品を通して、中世~現代の首里・那覇の歴史と文化を紹介します。

 今回は、県内企業の発展と題してオリオンビール株式会社創業者である具志堅宗精の資料や、オリオンビールの資料を展示します。また、沖縄の年中行事である清明や浜下り、ハーリーに関する資料を紹介します。さらに、那覇市制100周年の記念品を展示し、平成~令和へと続く那覇市の発展について紹介します。


開催終了 特別展 会期:2022-03-04 (金) 〜 2022-03-30 (水)

王国時代の紅型と鎌倉芳太郎/三線と工工四

 特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。


 3月は『鎌倉芳太郎展~その業績と遺した資料~』と題し、大正末期から昭和初期にかけて沖縄を調査した鎌倉芳太郎(かまくらよしたろう/1898~1983)の業績と収集した資料を、「鎌倉芳太郎の琉球芸術調査」「鎌倉芳太郎と首里城」「王国時代の紅型と鎌倉芳太郎」という3つのテーマで、尚家資料を交えてご紹介します。

 「鎌倉芳太郎の琉球芸術調査」では、鎌倉が大正末期から昭和初期にかけて行った琉球芸術調査についてご紹介します。その調査の範囲は、専門とする美術工芸から始まり、建築、文学、民俗、芸能そして歴史と多岐にわたります。特に各地に残る文化財や習俗などを収めた写真資料は、現在では失われてしまった文化財の姿を知る貴重な資料となっています。
 収集した資料の一つである、壺屋の窯跡を記録した図面は、発掘の様子が正確に描かれ、今では失われてしまった窯跡の様子をうかがうことが出来ます。
 「鎌倉芳太郎と首里城」では、戦前取り壊される寸前だった首里城が、鎌倉の働きかけによって差し止められた経緯を、鎌倉が収集した資料と首里城の写真とともにご紹介します。なかでも王国時代の首里城の図面は、平成の首里城建設の際に使用され、尚家に伝わる同様の図面“百浦添御普請絵図帳(ももうらそえごふしんえずちょう)”とともに、令和の首里城復元に用いられる貴重な資料として重要視されています。今回は、鎌倉版と尚家版を比較できるよう、2点を並べて特別展示いたします。
 「王国時代の紅型と鎌倉芳太郎」では、鎌倉の収集した染織資料から、紅型型紙をご紹介します。
 鎌倉は琉球芸術調査の一環として、紅型関係の資料収集と技法の調査を行いました。王国時代に王家の衣裳染めを担った澤岻(たくし)家、城間(しろま)家、知念(ちねん)家などから染め技法の聞き取りを行い、型紙や染め見本等を譲り受けました。これら三家に残された型紙には、尚家に伝来した紅型衣裳と類似する図案の型紙も含まれています。鎌倉が収集した型紙と、模様の類似する尚家と福地家の紅型衣裳を並べて展示していますので、どこが違うのか見比べてみて頂ければと思います。


 さらに、『三線と工工四(クンクンシ―)』と題して、当館所蔵の三線と胡弓、尚家に伝わる工工四をご紹介します。
 三線は14~15世紀頃に中国から伝わったといわれています。琉球では、海外からの賓客をもてなす場で演じられる歌舞音曲を担当するのは士族男子であったため、士族の教養として三線の習得が奨励されました。近代以降庶民の間にも広く根付き、人々の生活に溶け込んでいます。
 工工四は琉球古典音楽の楽譜です。屋嘉比朝寄(やかび ちょうき/1716~1775)が中国の楽譜を参考にして作ったのが最初といわれています。この工工四は「欽定(きんてい)工工四」ともいわれ、琉球国王尚泰の上意によって、咸豊8年(1858)に野村流の租である野村安趙(のむらあんちょう)と高弟の松村真信(まつむらしんしん)の師弟によって完成されました。


王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をどうぞご覧ください。


開催終了 特別展 会期:2022-02-04 (金) 〜 2022-03-02 (水)

王国時代の冬衣裳/首里那覇鳥瞰図屏風/沈金・堆錦の漆器

 特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。


 2月の美術工芸資料は、染織資料は尚家資料と福地家(ふくちけ)資料から『王国時代の冬衣裳』をご紹介します。
 気候が温暖な琉球でも、冬になると絹や木綿(もめん)で出来た防寒着を着用しました。木綿は現在では夏物という印象が強いのですが、苧麻(ちょま)や芭蕉(ばしょう)よりふっくらとして暖かいため、冬物として利用されていました。木綿は栽培が難しく、貴重な繊維だったため、主に士族層が着用し、庶民にとっては贅沢品でした。
 上級士族は、さらに裏地を付けて袷衣裳(あわせいしょう)にし、防寒性を高めました。また、内側に中国式の丈が短い絹製の袷衣裳「馬掛子(マークヮー)」「唐(とう)ビーター」を重ね着することもありました。


 調度品は『首里那覇鳥瞰図屏風/沈金・堆錦の漆器』と題して、王国時代の風景を描いた屏風と、漆器をご紹介します。
 「首里那覇鳥瞰図屏風(しゅりなはちょうかんずびょうぶ)」は、王国時代の首里から那覇の前島付近までの風景を描いています。このような上空から見下ろす形で描いた絵を、空を飛ぶ鳥の目線から描いた図という意味で「鳥瞰図(ちょうかんず)」と呼びます。よく見ると、右上の首里城正殿には鶴が描かれた簾(すだれ)がかけられています。これは王国時代の首里城の正月飾りで、正月の様子を描いた風景という事が分かります。
 「朱漆芭蕉万年青文沈金堆錦衝立(しゅうるしばしょうおもともんちんきんついきんついたて)」は、片面が芭蕉(ばしょう)、もう片面が万年青(おもと)の文様が沈金(ちんきん)で描かれています。縁の部分には色とりどりの貝と海藻が堆錦(ついきん)で描かれています。


 また、横内家(よこうちけ)資料から『神猫図(しんびょうず)』、尚家文書から『芥子園画伝(かいしえんがでん)』をご紹介します。
 『神猫図』の作者、山口宗季(やまぐちそうき)(唐名・呉師虔(ごしけん)/号・雲谷/1672~1743)は、20歳で王府の絵師となり、32歳で中国・福州に留学し、花鳥画の第一人者である孫億(そんおく)らから絵を学びました。その画才を高く評価され、琉球に帰国後は上級絵師として活躍し、後進の育成とともに御後絵(おごえ・国王の肖像画)や円覚寺の仏画制作などに携わりました。
 本画は、神秘的なまなざしと柔らかい空気をはらんだ体躯を、巧みな筆致と淡彩で表現した、近世琉球絵画の名品です。
 『芥子園画伝(かいしえんがでん)』は、中国・清代に刊行された彩色版画絵手本で、歴代の絵画論や山水花鳥などの絵画技法を解説した書籍です。元来門外不出だった絵師の技術を解説文と挿絵を用いて整理した初めての書物で、一般に広く普及しました。
 「中城御殿」の朱印があり、尚家の御物だったことが分かります。


 王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をどうぞご覧ください。


※今後状況により日程等に変更が生じる場合があります。