那覇市内史跡・旧跡案内

那覇市内史跡・旧跡詳細

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高平山(タカデーラヤマ)

 琉球王国時代に創作された組踊(くみおどり)「万歳敵討(まんざいてきうち)」舞台。登場人物「高平良御鎖(タカデーラウザシ)」の屋敷があった場所と設定される。
 物語は、傲慢(ごうまん)な高平良御鎖は、ある日、「大謝名比屋(おおじゃなのひや)」が持っていた名馬を見て、譲り受けようと望んだが、断られたため、比屋を闇討ちにした。大謝名の息子「謝名子(じゃなのシー)」と「慶雲(けいうん)」の二人は時機を伺い、高平良御鎖を討ち取るというものである。
 「万歳敵討」の作者田里朝直(たさとちょうちょく)(1703~1773年)は、組踊創始者玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)、平敷屋朝敏(へしきやちょうびん)に続く人物であり、「万歳敵討」とともに「義臣物語(ぎしんものがたり)」・「大城崩(ウフグスクくずれ)」を創作して、田里の組踊三番と称されている。「万歳敵討」は1756年に尚穆王冊封(しょうぼくさっぷう)の際、冊封使(さっぷうし)歓待のための「冊封宴(えん)」で上演されている。
 高平山から首里末吉町(しゅりすえよしちょう)にかけての丘陵地帯は、王国時代からの墓地地帯でもあり、王族が眠る「末吉陵(すえよしりょう)」、王国時代の政治家羽地朝秀(はねじちょうしゅう)の墓、那覇市指定文化財「宜野湾御殿家の墓及び墓域」などがある。また首里平良(たいら)町と末吉町を結ぶ道は、琉球八社の一つ「末吉宮(すえよしぐう)」への参道であり、石畳が残っている。末吉町側には玉城朝薫作の組踊「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」の舞台となった遍照寺(へんしょうじ)(元万寿寺(まんじゅじ))跡が残っている。

所在 那覇市首里平良町2丁目地内
分類 地名・名勝
場所 旧首里
備考 2007年(平成19)2月設置。平成18年度世界遺産周辺整備事業。県道241号線「平良」交差点より徒歩約2分。首里平良郵便局近く。