那覇市内史跡・旧跡案内

那覇市内史跡・旧跡詳細

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雪の崎跡(ユーチヌサチアト)

 那覇市の北西部にあった岬の名称。中国からの冊封使節の記録には「雪崎山(せっきざん)」と見える(李鼎元(りていげん)「使琉球記(しりゅうきゅうき)」)。
 「雪の崎」は、若狭町(わかさまち)の中央北側に広がっていた「上の毛(ウィーヌモー)」と呼ばれる高さ20m程の岩礁台地(がんしょうだいち)の突端。その下部が波の浸食により削られ、方言で「ユーチ」と呼ばれる斧(よき)(小型な斧(おの)、斧(おの)は方言で「ウーン」という)の形に似ていることから、「ユーチヌサチ」と呼ばれ、「ユーチ」の音から「雪」の字が充てられた。
 「上の毛」は古くから拝所として利用され、崖下には大きな洞穴があったという。また「上の毛」の東側は墓地地帯で、さらに「アカチラ原(バル)」と呼ばれる海岸沙汀地(さていち)が広がっていた。西側には、「耳切坊主(ミミチリボーシ)」で有名な黒金座主(くろがねざす)の寺とされる護道院(ごどういん)があった。
 沖縄戦後も、「上の毛」はその姿をとどめていたが、1951年(昭和26)3月に米軍の立入禁止区域から辻(つじ)・若狭町が開放されたことによる区画整理事業の実施、さらに泊港南岸地域の埋立(現前島3丁目、若狭3丁目一帯)により削り取られ、その岩石は、埋立工事に使用された。1959年(昭和34)9月に、残っていた「雪の崎」側の岩礁は、ダイナマイト爆破により取り除かれた。「上の毛」跡地には若狭小学校(1957年開校)が新設され、周辺に住宅地・公園用地が整備された。現在、爆破により残った岩の一部が、公園用地に取り込まれ、周辺住民の拝所として利用されている。

所在 那覇市若狭1丁目 若狭海浜公園内
分類 地名・名勝
場所 旧那覇
備考 2011年(平成23)3月設置。平成23年度旧跡標示事業。県道43号線「若狭」バス停より徒歩約4分。若狭海浜公園内。