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羽地朝秀生家跡(ハネジチョウシュウセイカアト)

羽地朝秀生家跡(ハネジチョウシュウセイカアト)

 琉球王国時代の政治家羽地朝秀の生家跡。
 羽地家は、第二尚氏王統の第三代尚真(しょうしん)王の第一子、尚維衡浦添王子朝満(しょういこううらそえおうじちょうまん)を始祖(しそ)とする小禄御殿(おろくウドゥン)家の分家で、羽地間切(はねじまぎり)(現名護市羽地)を領有した名家である。
 羽地朝秀は、羽地按司(あじ)家六世として1617年に生まれた。中国名を尚象賢(しょうしょうけん)という。1650年に尚質(しょうしつ)王の命を受け、王国の正史『中山世鑑(ちゅうざんせいかん)』を編集した。また、たびたび鹿児島(かごしま)に上国し、薩摩側と信頼関係を築いた。1666年に首里王府の最高ポストである「摂政(せっしょう)」に就任し、1673年に辞任するまで7年間務めた。
 この間羽地の打ち出した政策は、行政機構の改革、農村支配の見直し、王府祭祀の合理化など、政治・経済・社会全般にわたった。その布達文書は後に『羽地仕置(はねじしおき)』としてまとめられ、羽地の死後も王府行政の指針となった。1675年死去、享年59。
 墓は首里平良(しゅりたいら)町の丘陵にあり、1922年(大正11)に沖縄史蹟保存会の手によって墓碑が建てられた(現存)。

所在 那覇市首里大中町1-41
分類 人物
場所 旧首里
備考 2007年(平成19)2月設置。平成18年度世界遺産周辺整備事業。県道28号線「桃原」バス停より南東へ徒歩約3分。