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美栄橋駅周辺の史跡・旧跡(ミエバシエキシュウヘンのシセキ・キュウセキ)

美栄橋駅周辺の史跡・旧跡(ミエバシエキシュウヘンのシセキ・キュウセキ)

 美栄橋駅(みえばしえき)周辺の歴史は、琉球王国時代の「長虹堤(ちょうこうてい)」の築造に始まる。
 長虹堤は、1451年に築造させた安里橋(あさとばし)(現在の祟元寺橋(そうげんじばし))からイベガマ(俗に「久茂地(くもじ)のチンマーサー」)に至るまでの約1kmに及ぶ海中道路(かいちゅうどうろ)で、美栄橋は、この道のほぼ中央に架けられた石橋である。長虹堤築造以来、昭和戦前期まで首里(しゅり)・那覇(なは)の往来には主にこの道が利用された。また橋の築造により、安里川から流入する土砂が河口に堆積(たいせき)して干潟(ひがた)が形成され、ここで製塩業(せいえんぎょう)が営まれた。
 近代に入ると、安里橋付近には漆喰屋(しっくいや)、瓦葺職人(かわらぶきしょくにん)が集まり、美栄橋からチンマーサーにかけては鍛冶屋(かじや)が軒を並べ、線香屋(せんこうや)も数多くあった。
 1945年(昭和20)の沖縄戦の後、美栄橋から西側の地域は米軍の物資集積所(ぶっししゅうせきじょ)となり、その後の区画整理で、往時の様子はすっかり変わってしまった。製塩が行われた地域も埋立により宅地化された。ただ、美栄橋から祟元寺橋にかけて(牧志2丁目部分)、長虹堤跡の道が残っている。
 美栄橋駅周辺には、長虹堤のほかに「新修美栄橋碑(しんしゅうみえばしひ)」、「十貫岩(ジュッカンジー)」の話、幽霊伝説の「七つ墓(ナナチバカ)」、天女伝説の「天日井(ティーラガー)」、沖縄陶芸史上に名を残す「渡嘉敷三良(とかしきサンラー)」・「張献功(ちょうけんこう)」の墓などの史跡・旧跡が残っている。

所在 那覇市牧志1-21
分類 地名・名勝 、歴史 、民俗
場所 旧那覇
備考 2003年(平成15)8月設置。平成15年度旧跡標示事業。モノレール美栄橋駅近く。