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沖縄県立農事試験場跡(オキナワケンリツノウジシケンジョウアト)

沖縄県立農事試験場跡(オキナワケンリツノウジシケンジョウアト)

 沖縄県の気候に適した作物の栽培・試験・研究等を行った農事施設跡。
 農事試験場は、1881年(明治14)5月に、真和志間切古波蔵村(まわしまぎりこはぐらむら)内(現那覇市泉崎(いずみざき)、沖縄県庁付近)の約7,900坪余の敷地に設置された。当初の業務は、甘蔗(かんしょ)・稲・麦(いねむぎ)・煙草(たばこ)・藍(あい)・椰子(やし)・鬱金(うこん)等の試作と砂糖製造に関する試験で、特に製糖車(サーターグルマ)の鉄輪(てつりん)への改良や黒砂糖の品質改善に取り組んだ。
 農事試験場は、1913年(大正2)に西原村(にしはらそん)(現西原町我謝(にしはらちょうがじゃ))の県立糖業(とうぎょう)試験場に吸収・合併されたが、1919年(大正8)、名護(なご)に再設置された(その後普天間(ふてんま)へ移転)。糖業試験場から、1921年(大正10)に畜産部が、1926年(昭和元)に園芸部が分離され、1928年(昭和3)に蚕業(さんぎょう)試験場が設置された。
 沖縄県は、1928年、真和志村与儀(よぎ)(現那覇市与儀)に約105,000坪を購入し、糖業試験場那覇苗圃(びょうほ)とした。1931年(昭和6)に糖業・農事の両試験場を再度合併し、与儀の那覇苗圃を農事試験場の本場(ほんじょう)とした。本場では主に甘蔗(かんしょ)の品種改良(ひんしゅかいりょう)・栽培の研究が行われた。
 沖縄戦後の1946年(昭和21)7月、与儀の試験場が再興された。甘藷(いも)をはじめ、花卉(かき)栽培、牛・豚・山羊等の増殖事業を展開したが、周辺地域の急激な都市化と研究施設の充実を図るため、首里崎山町(しゅりさきやまちょう)に約120,000坪の敷地を取得し、1961年(昭和36)10月に移転した。試験場跡地は、病院・学校・公園などの公共施設が建てられた。

所在 那覇市寄宮1丁目 与儀公園内
分類 歴史
場所 旧真和志
備考 与儀公園内