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与那原良矩生家跡(ヨナバルリョウクセイカアト)

与那原良矩生家跡(ヨナバルリョウクセイカアト)

 琉球王国時代の三司官(さんしかん)与那原良矩の生家跡。
 与那原家は、馬良詮大浦添親方タ良憲(ばりょうせんウフうらそえウェーカりょうけん)を始祖とする馬氏小禄殿内(ばうじおろくドゥンチ)の分家で、大里間切(おおざとまぎり)(現南城(なんじょう)市大里)を領有する総地頭家(そうじとうけ)であった。与那原良矩のほか、王国時代末期の三司官与那原良恭(りょうきょう)・良傑(りょうけつ)親子など9人もの三司宮を輩出した名家であった。
 与那原良矩は1718年に生まれ、中国名は馬国器(ばこっき)という。1762年、進貢正使として中国へ赴き、1765年にその報告のため、鹿児島(かごしま)に上国した。1769年に三司官に就任し、1796年に辞任するまで28年間務めた。この間、王国の刑律典(けいりってん)『琉球科律(りゅうきゅうかりつ)』の編さんなどにも携わった。
 道徳を重んじた人といわれ、教訓的な琉歌(りゅうか)を数多く残し、後に「君子親方(くんしウェーカタ)」と称された。また、和文学にもすぐれ、沖縄三十六歌仙(かせん)の一人に数えられている。1797年死去、享年80。

所在 那覇市首里儀保町3-14
分類 人物
場所 旧首里
備考 2007年(平成19)2月設置。平成18年度世界遺産周辺整備事業。モノレール儀保駅近く