那覇市内史跡・旧跡案内

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万歳嶺跡(バンザイレイアト)

 万歳嶺(俗称「上(ウィー)ナチジナームイ」)は、首里台地の西端に位置する丘のこと。かつては松が生い茂り、頂上から美しい眺望が開けていたため、「万歳嶺夕照(ばんざいれいせきしょう)」と詠うたわれた首里八景の一つであった。
 時の国王尚真(しょうしん)がこの地に遊覧した際、王の治世、国の繁栄を祝う万歳の声がわきおこったことから、1497年に丘の頂上に「万歳嶺記(ばんざいれいき)」の碑を建立し、この丘を「万歳嶺」と称した。
 1617年、後の国王となる尚豊(しょうほう)が国質(くにじち)(人質(ひとじち))として薩摩(さつま)に赴いた際、父尚久(しょうきゅう)は息子の無事な帰国を祈願した。同年尚豊が無事帰国したので、翌1618年、尚久(しょうきゅう)は万歳嶺の南斜面に千手観音像(せんじゅかんのんぞう)を奉じ、観音堂(かんのんどう)と慈眼院(じげんいん)を建立した。
 その後、観音堂は旅の航海安全を祈る場所として人々の信仰を集めていたが、1945年(昭和20)の沖縄戦で焼失し、「万歳嶺記」の碑も破壊された。戦後、万歳嶺の頂上付近を削り、観音堂が新たに建てられた。「万歳嶺記」の碑も、残った一部を台座に組み込み、復元されている。
 なお、万歳嶺に対し、その西方に連なる小高い丘は、「官松嶺(かんしょうれい)」(俗称「下(シム)ナチジナームイ」)と呼ばれていた。

所在 那覇市首里山川町3-1
分類 地名・名勝
場所 旧首里
備考 2000年(平成12)3月設置。平成11年度旧跡標示事業。県道29号線「沖縄都ホテル前」バス停より徒歩約3分。首里観音堂内。