那覇市内史跡・旧跡案内

那覇市内史跡・旧跡詳細

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高所跡(タカジョアト)

 琉球国内の新開田畑(しんかいでんばた)の石高や貢船の貨物などに関する事務を扱う首里王府の役所跡。1669年創設。
 高所は、「算用座(さんようざ)」(王府の役所、1732年「勘定座(かんじょうざ)」に改称)の事務の一部を引き継ぎ、国内の田畑から上がる収穫量など石高にかかる事務や、地方を廻って農民の労働状況などを視察した。さらに、中国・日本への貢船の出入国の際には、貢船の検査や貨物の点検なども行った。1766年に高所の事務量が多いとの理由で、「田地方(でんちほう)」を新設して農事に関する事務を分離した。
 高所が置かれた一帯は、かつて「池上院(ちじょういん)」と称する臨済宗(りんざいしゅう)の隠居寺(いんきょじ)があったといわれ、1669年に御用地とされた。その後、一帯には王府の諸座・諸蔵(役所)が置かれ、貝摺奉行(かいずりぶぎょう)所(1745年)、龍潭(りゅうたん)側に国学(こくがく)(1801年)、孔子(こうし)廟びょう(1837年)などが設置された。
 1879年(明治12)の沖縄県設置により高所は廃され、跡地には1886年(明治19)に、那覇に置かれた沖縄県師範(しはん)学校が新築移転された。1945年(昭和20)の沖縄戦により師範学校は消失。1950年(昭和25)に琉球大学男子学生寮が置かれ、琉大移転後の1986年(昭和61)に沖縄県立芸術大学が開学した。

所在 那覇市首里当蔵町1-4
分類 歴史
場所 旧首里
備考 2007年(平成19)2月設置。平成18年度世界遺産周辺整備事業。沖縄県立芸術大学前。