那覇市内史跡・旧跡案内

那覇市内史跡・旧跡詳細

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那覇駅跡(ナハエキアト)

 沖縄における軽便(けいべん)鉄道各路線の起点となった那覇駅跡。
 通常の線路幅である1067mmに対し、それ未満の線路幅の鉄道設置を認め、建設費や維持費の抑制を図った「軽便鉄道法」(1910年)の成立を受け、沖縄県では、1913年(大正2)に線路幅762mmの軽便鉄道の敷設を決定した。
 1914年(大正3)12月1日に、那覇と与那原(よなばる)を結ぶ与那原線(全長約9.8km)の操業が開始され、その後、1922年(大正11)に那覇~嘉手(納かでな)線(約23.6km)、1923年(大正12)に那覇~糸満(いとまん)線(約18.3km)が開業した。那覇港への引き込み線(約0.7km)も敷かれ、貨物専用として使用された。沖縄の軽便鉄道は、人々から「ケービン」の愛称で親しまれた。
 那覇駅は、与那原線開業時に整備され、路線増加とともに拡充された。赤瓦葺きの木造平屋建ての駅舎には売店もあり、隣接して鉄道管理所や交番が置かれた。構内には転車台・機関庫・石炭置き場などがあった。
 車両は、蒸気機関車12両、ガソリン動車6両、客車52両、貨車51両あったといい、1930年(昭和5)に始めて導入されたガソリン動車では、快速運転も行われ、乗客から人気があったという。那覇からは、それぞれ30分(与那原)、60分(嘉手納)、50分(糸満)程で結ばれていた。普段は3両編成であったが、キビの収穫時期や盆・正月、波上祭の時期には5 ~ 8両編成になったという。
 那覇駅は、1944年(昭和19)10月10日の空襲により甚大な被害を受けたが、1 ヵ月後には、運行が再開され、沖縄守備隊の兵站輸送や、住民の本島北部への疎開に利用された。しかし、翌年の3月下旬には、米軍の攻撃により破壊され、運休となった。
 終戦後の1947年(昭和22)には鉄道復興の計画もあったが、幹線道路の整備が優先された。さらに1950年(昭和25)の朝鮮(ちょうせん)戦争勃発による鋼材不足のため、スクラップ(くず鉄)ブームが起こり、車両やレールの残骸もスクラップとなった。

所在 那覇市泉崎1-20地先
分類 歴史
場所 旧那覇
備考 那覇バスターミナル近く