那覇市内史跡・旧跡詳細
那覇大阿母屋敷跡(ナハオオアムヤシキアト)
琉球王国の女神官の一人「那覇大阿母(なはウフアム)」の屋敷跡。敷地の広さは215坪。
那覇大阿母は「浜(はま)の大阿母」ともいい、高級神女「真壁大阿母志良礼(マカンウフアンシタリ)」に属す。
嘉清(かせい)年間(1522 ~ 1566年)、錢氏与那城親雲上直方(せんうじよなぐすくペーチンちょくほう)の娘真牛金(モウシガニ)は貞女との評判から、国王尚清(しょうせい)に召され、国王の子の養母となり、那覇士族の女性の頭(かしら)となった。この時、那覇大阿母に任じられたという(『女官御双紙(にょかんおそうし)』)。
那覇大阿母は、代々那覇士族の婦女から選ばれ、楚辺(そべ)大阿母・泉崎(いずみざき)大阿母とともに那覇地域の祭祀を司(つかさ)どった。また、中国への進貢船(しんこうせん)出船の際は、両大阿母とともに三重城(ミーグスク)で、航海の無事を祈願した。
1879年(明治12)の沖縄県設置(琉球処分)後、那覇大阿母職は廃止され、屋敷地は1911年(明治44)、久茂地(くもじ)尋常小学校創設に際し、学校用地に組入れられた。
所在 | 那覇市久茂地3-26地内 |
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分類 | 民俗 |
場所 | 旧那覇 |
備考 | モノレール県庁前駅より徒歩約5分。那覇市立久茂地小学校近く、カメラの森山専用駐車場内 |