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貝摺奉行所跡(カイズリブギョウショアト)

貝摺奉行所跡(カイズリブギョウショアト)

 王家御用、献上・贈答用などの漆器(しっき)製作にかかる事務及び職人を指導・監督する首里王府の役所跡。相国寺(そうこくじ)跡(所在地不明)から1745年にこの地に移設された。
 琉球王国では、15~16世紀に馬・硫黄(いおう)のほか献上品として漆塗りの腰刀(こしがたな)(鞘(さや))などを中国へもたらしており、早くから漆芸(しつげい)品を製作していた。1612年に毛氏保栄茂親雲上盛良(もううじびんペーチンせいりょう)が貝摺奉行(かいずりぶぎょう)に任じられ、貝摺師(かいずりし)・絵師(えし)・檜物師(ひものし)・磨物師(ときものし)・木地引(きじびき)などの職人を監督したといわれ、この時期にはすでに貝摺奉行所が組織されていたと思われる。奉行所では中国皇帝や日本の将軍・諸大名への献上用の漆器の形態・図案が決められたほか、数量及び材料などにかかる金銭の出納などの生産管理事務が行われた。
 1879年(明治12)の沖縄県設置により貝摺奉行所は廃され、跡地には1886年(明治19)に沖縄師範学校が置かれた。
 漆器は民間の手で製作されつづけ、1912年(明治45)には漆器産業組合も結成されるなど、本土への移出品、記念品としてもてはやされた。1945年(昭和20)の沖縄戦後には、米兵・本土観光客の土産品として復興し、1980年(昭和55)に通商産業大臣(当時)から伝統的工芸品として「琉球漆器」が指定を受けた。

所在 那覇市首里当蔵町1-4
分類 歴史
場所 旧首里
備考 2007年(平成19)2月設置。平成18年度世界遺産周辺整備事業。沖縄県立芸術大学前。