那覇市内史跡・旧跡詳細
親見世跡(オヤミセアト)
琉球王国時代の那覇の役所跡。
15世紀半ばの朝鮮国の書物『海東諸国紀(かいとうしょこくき)』の中に「琉球国図(りゅうきゅうこくず)」が記されており、その中の「国庫(こっこ)」は親見世を指すとされ、創設はそれ以前と考えられている。
もとは、首里王府が海外貿易で得た貨物を販売する「御店(おみせ)」だったとされる。1609年の島津侵攻の際に、降伏会議はここで開かれた。
楼門(ろうもん)造りの門前の通りは、港に続く東・西両村を分ける道であり、門前の横には大市(ウフマチ)(市場)が広がる那覇の中心地であった。
1638年に上位機関の那覇里主所(なはさとぬしじょ)が設置されると、もっぱら那覇四町(なはユマチ)(東村(ひがしむら)・西村(にしむら)・泉崎村(いずみざきむら)・若狭町村(わかさまちむら))の民政を担当した。琉球処分時には大屋子(うふやく)、筆者(ひっしゃ)など10数人が常勤していた。
1876年に熊本鎮台沖縄分遣隊営所(くまもとちんだいおきなわぶんけんたいえいじょ)となり、1884年(明治17)から1915年(大正4)まで那覇警察署、その後は山形屋(やまがたや)百貨店となった。
所在 | 那覇市東町23-1 |
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分類 | 歴史 |
場所 | 旧那覇 |
備考 | 1996年(平成8)5月設置。平成7年度旧跡標示事業。モノレール旭橋駅より西へ徒歩約6分。 |