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綾門大道周辺の旧跡(アイジョーウフミチシュウヘンノキュウセキ)

綾門大道周辺の旧跡(アイジョーウフミチシュウヘンノキュウセキ)

 琉球王国時代、海の玄関口那覇港(なはこう)から泊(とまり)の崇元寺(そうげんじ)を経て首里城に至る道は、王国随一の公道であった。ことに「下の綾門(シムヌアイジョー)」と呼ばれた中山門(ちゅうざんもん)と、「上の綾門(ウィーヌアイジョー)」と呼ばれた守礼門(しゅれいもん)の間を中心とした幅広い道を綾門大道(アイジョーウフミチ)といった。18世紀初めに作成された「首里古地図(しゅりこちず)」によれば、綾門大道の周辺には、世子殿(せいしでん)である中城御殿(なかぐすくウドゥン)や王家別寮(べつりょう)の大美御殿(ウフミウドゥン)をはじめ、王家陵墓(りょうぼ)の玉陵(タマウドゥン)、御客屋(ウチャクヤ)、さらに天界寺(てんかいじ)や安国寺(あんこくじ)など王府関連の建造物が建ち並び、王都にふさわしい景観を形づくっていた。かつて、この大道では、国王一代に一度限りの「綾門大綱(ウフンナー)」(大綱引)や、毎年元日に行われる「馬勝負(ンマスーブ)」(馬術)などが催された。綾門大道周辺の旧跡は、1945年(昭和20)の沖縄戦で壊滅的な被害を受けたが、守礼門の復元、玉陵の修復、そして首里城の復元と整備が進められている。

所在 那覇市首里真和志町1-9
分類 歴史 、民俗
場所 旧首里
備考 1999年(平成11)4月設置。平成10年度旧跡標示事業。県道49号線「首里城前」交差点近く。