那覇市内史跡・旧跡詳細
東恩納寛惇生家跡(ヒガオンナカンジュンセイカアト)
沖縄研究者東恩納寛惇の生家跡。東恩納寛惇は1881年(明治14)に、那覇東村(ひがしむら)で生まれた。東恩納家は那覇士族の愼(しん)氏である。
東恩納は、沖縄尋常中学校を経て、熊本の第五高等学校(現在の熊本大学)、ついで東京帝国大学(現東京大学)史学科に進んだ。1908年(明治41)に卒業し、その後も、東京に留まり、1929年(昭和4)に東京府立高等学校の教授となった。1933年(昭和8)には東京府からの派遣で、東南アジアやインドを歴訪し、タイでは日本人町の調査を行った。戦後の1949年(昭和24)に拓殖(たくしょく)大学の教授に就任した。
東恩納の沖縄研究は、大学在学中からで、『琉球新報』や各種雑誌等で論文を発表している。主な著書に『尚泰侯実録(しょうたいこうじつろく)』(1924年)、『黎明期(れいめいき)の海外交通史』・『泰(タイ)ビルマ印度(インド)』(1941年)など多数あり、戦後も地名研究の名著『南島風土記(なんとうふどき)』(1950年)、『校註 羽地仕置(はねじしおき)』(1952年)がある。
1963年(昭和38)に東京で死去、享年83。60年余かけて収集した蔵書は、郷里沖縄に寄贈され、沖縄県立図書館に「東恩納文庫」として収蔵されている。
なお、東恩納の生家跡は、王国時代は、薩摩藩在番(さつまはんざいばん)奉行所の脇仮屋(ワキカイヤ)で、1900年(明治33)から沖縄戦にかけては並川(なみかわ)金物店となっていた。
所在 | 那覇市東町22地内 |
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分類 | 人物 |
場所 | 旧那覇 |
備考 | モノレール旭橋駅より西へ徒歩約5分。東町外科医院近く。 |