那覇市内史跡・旧跡詳細
新天地劇場跡(シンテンチゲキジョウアト)
那覇市上之蔵町(うえのくらちょう)の石門(いしじょう)に建てられた劇場跡。1922年(大正11)建立で、最初の劇場主は、奄美出身で眼科医の向井文忠(むかいぶんちゅう)氏。
那覇劇場は、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りの二階建てで「石屋(イシヤー)」とも呼ばれ、瓦葺(かわらぶ)き屋根が軒を並べる那覇の街ではひときわ目立った建物だった。敷地は約190坪、観客収容人員は約1,500人であったという。
当初は、「那覇劇場(なはげきじょう)」という名で、新垣松含(あらかきしょうがん)・多嘉良朝成(たからちゅうせい)・平良良勝(たいらりょうしょう)等が結成した「若葉団(わかばだん)」の専用劇場であったが、高台に建設されたこともあり、観客の入りがおもわしくなく、「若葉団」はまもなく解散した。その後は「新天地劇場」という名の常設映画館として運営された。
1934年(昭和9)から1943年(昭和18)まで真境名由康(まじきなゆうこう)・鉢嶺喜次(はちみねきじ)・島袋光裕(しまぶくろこうゆう)等が結成した「珊瑚座(さんござ)」が専用劇場として使用し、「珊瑚座」の名称が定着した。
1944年(昭和19)10月10日の10・10空襲で、劇場内部は被害を受け焼失したが、外部のコンクリート壁面は焼け残った。沖縄戦後もしばらく放置されたが、1953年(昭和28)から始められた一帯の区画整理のため、撤去された。
所在 | 那覇市西1-12-15付近 |
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分類 | 芸能 |
場所 | 旧那覇 |
備考 | 国道58号線「泉崎」交差点より西消防署通り向け徒歩約5分。 |