那覇市内史跡・旧跡案内

那覇市内史跡・旧跡詳細

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ユウナヌカー跡

 この地にあった村ガー(共同井戸)跡。近くにゆうなの木があったことから、「ゆうなの井戸」と呼ばれたという。
 浮島(うきしま)と呼ばれた那覇(なは)は、周りを海に囲まれているため、多くの井戸水は塩分が多く、飲料には適さなかった。そのため、那覇港南岸の「落平(ウティンダ)」の水が、那覇市中や入港する船舶に向けて販売されていた。このような中、松尾山(マーチューヤマ)(現松山(まつやま)公園一帯)周辺の井戸の水は、飲み水として利用されたという。ユウナヌカーもその一つで、周辺住民の産湯などに使われる貴重な村ガーとなっていた。
 1879年(明治12)の沖縄県設置(琉球処分)後、県庁所在地として人口が増加した那覇では、水問題が一層深刻となった。水道敷設計画は何度も持ち上がり、1933年(昭和8)に念願の水道が敷かれた。水道普及により、ユウナヌカーは使われなくなったが、その後も水への感謝として、周辺住民から拝まれた。
 ユウナヌカーは、この地にあった沖縄県立第二高等女学校の運動場の一角にあったが、現在、1986年(昭和61)に整備された松山公園の池として、憩いの場所となっている。

所在 那覇市松山1-17 松山公園内
分類 民俗
場所 旧那覇
備考 モノレール県庁前駅より徒歩約7分。松山公園内