4月18日「那覇で詠まれた歌と戦前の那覇の景観」ギャラリートークレポート
企画展「那覇を詠う~琉歌・詩歌をめぐる首里・那覇~」関連企画のギャラリートークを4月18日(土)に行いました。
この日のテーマは「那覇で詠まれた歌と戦前の那覇の景観」と題し、
琉球大学 法文学部 国際言語文化学科の准教授 前城 淳子先生に、那覇の歌で詠まれた歌を中心に、その歌に込められた読人の心情や情景を丁寧に説明していただきました。
今回のギャラリートークでは、琉球王国の玄関口、那覇港から始まり、三重城、住吉、奥武山、落平にまつわる歌を1~2首取り上げていました。
三重城にまつわる歌では、今回の企画展ポスター、チラシにも詠まれている以下の歌をあげていました。
三重城に登て 手巾持ち上れば 早船の習ひや 一目ど見ゆる
意味) 三重城に登り、手ぬぐいを持ち上げ船を見送ったが、船足が速くて、あっという間に行ってしまった。
雑踊「花風」の歌詞にもなり、遊女が恋人を人目を避けて見送るといった内容の琉歌ですが、元々は予祝の歌として、
航海安全を願う歌であったと前城先生は説明していました。
↑は琉球八景(泉崎夜月)に描かれた泉崎橋。
泉崎橋にまつわる歌として以下の歌をあげていました。
このきや年寄ても 若さ覚出しゆさ 泉崎橋の 夜半の歌声
意味) このような年寄りになっても、泉崎橋の夜半の歌声を聞くと、若い時代のことを思い出させる。
この歌を詠んだ作者も、若い頃に泉崎橋を詠いながら帰った思い出を懐古している様子が目に浮かびます。
泉崎橋は、渡地や仲島の近くにあり、その帰りの若者たちが歌いながら帰ってるのを懐かしく思っているのでしょう。
当時の泉崎橋の近辺は、人家も少なく、歌って帰る若者をとがめる人もいなかったのではないでしょうか。
* * *
今とまったく違う那覇の情景に思いを馳せながら、参加された皆さまは前城先生のお話に耳を傾けていました。
次回のギャラリートークは、5月16日(土)午後2時より「首里」の歌を中心にお話ししていただきます。
Gallery Talk ギャラリートーク
5月16日(土) 「首里で詠まれた歌と戦前の首里の景観」
講師: 前城 淳子 氏(琉球大学 法文学部 国際言語文化学科 准教授)
時間: 14:00~16:00
場所: 那覇市歴史博物館展示室内
・※予約等のお申し込みは必要ありません。ただし、観覧料が必要となります。
皆さまお聴き逃しのないよう、この機会にぜひご来館ください。