展示案内

展示会一覧

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開催終了 企画展 会期:2024-01-07 (日) 〜 2024-03-04 (月)

ぐし宮城(ぐしみやぎ)家資料展~伝統とモダンの近代那覇~

【会期中展示替えあり】
 
 前期:1月7日(日)~2月5日(月) 
 後期:2月9日(金)~3月4日(月)

 ※前期終了日が当初の予定(2月7日)から変更になりましたのでご注意ください。

 

伝統とモダンの交錯する近代那覇に暮らした「ぐし宮城(ぐしみやぎ)家」。

明治初頭生まれのセツの生家は那覇士族で、嫁入り道具として王国時代の伝統的な衣裳類を持参しました。

セツの息子・昇は上京して最先端の写真技術を学び、昭和初期に那覇で写真スタジオを開きました。

那覇市歴史博物館にはセツと昇が残した衣裳や漆器、装飾品、写真など約600点におよぶ資料が寄贈されました。

そのどれもが琉球王国時代から近代にかけての那覇の変遷を物語貴重な資料です。

 

親子二代に渡るぐし宮城家の衣裳や写真などを通じて、明治から昭和初期の那覇の暮らしと風景をご紹介します。


開催終了 企画展 会期:2023-11-03 (金) 〜 2023-12-26 (火)

地方に移り住んだ士(サムレー)~「新発見」の自姓楚南家文書を読み解く~

楚南家は座波親雲上了好を系祖とする首里系の士(サムレー)です。


初代の了好は首里王府の高官であった名護良豊に仕え、国王から首里桃原村に家屋敷を賜りました。


しかし、十世了初以降は首里王府の役職に就けず、やがて佐敷間切に移り住むようになります。

移住先では会館地を獲得するなど、安定した収入の確保に努めました。


今回の企画展では、初公開の楚南家文書や伝世品をとおして、地方に移り住んだ士の実態を紹介します。


開催終了 企画展 会期:2023-07-07 (金) 〜 2023-09-04 (月)

絵図で探検 なはのまち

琉球王国時代の首里・那覇は赤瓦の屋根がひしめく活気にあふれたまちでした。

他にはみられない独特の美しいまちなみが形作られましたが、沖縄戦による破壊によって失われ、残念ながらいまでは見ることはできません。

しかし、当時のまちなみや人々のいきいきとした暮らしぶりは絵図に描かれて、いまに伝わっています。

この企画展は、絵図をひも解くことで、私たちが目にすることができないかつての「なはのまち」を探検してみようというものです。


開催終了 企画展 会期:2022-10-28 (金) 〜 2022-12-26 (月)

近代沖縄の染織~貢納布から特産品へ~

 王国時代に長い時間をかけて発達し、技術が確立した琉球の染織は、近代になると沖縄県の特産品として位置づけられ、近代化・産業化がすすめられました。

 家内工業だった織物作りは工場での集約産業へと変化し、それに伴い織機は地機からより生産性の高い高機へ置き換わっていき、さらに手織りから機械織りへと移行していきました。

 県外への移出向けに作られる織物は、他県の産地で好まれている図柄が取り入れられ、それが、次第に沖縄の人々の着る衣裳にも使われるようになりました。

 また、工業化による大量生産により、安価な布地が簡単に手に入るようになると、人々の衣裳の素材は家庭内で造られた手織りの布から市場で購入したものになっていき、衣裳の形も変化しました。

 一方で、生産量の増加とともに機織りの粗製乱造が問題となったことから、県は工業指導所を設置して品質保持と
生産体制の指導にあたり、新しい製造法の研究と普及に努めました。

 さらに、県内各地には、織物の作り手の要請のための実業学校が設置されました。教育の場では風俗改良運動が起き、女学生たちの服装は伝統的な琉球の衣裳から和服、さらには洋服へと変わっていくことになりました。

 世界的な不況で織物販売が不振になると、県は観光振興に乗り出し、その中で染織は沖縄を象徴的にあらわすものとなっていきました。

 一方では、産業化の波に乗れなかった紅型は衰退の道をたどりましたが、美術品として県外の収集家や画家の注目を集めるようになりました。

 これらの明治期から戦前期までの間に沖縄の染織に起きた変化を、産業、教育、観光の3つのテーマを軸に、大正から昭和初期に製作された染織品、戦前の工芸学校や工業指導所の記録や観光案内パンフレットなどの資料をもとにひも解いていきます。


開催終了 企画展 会期:2022-07-01 (金) 〜 2022-08-29 (月)

タイムスリップEXPO’75 ~「望ましい未来」から海洋博を振り返る~

 沖縄国際海洋博覧会(略称:海洋博)は1975年7月20日から1976年1月18日の約6か月間にわたり、本部半島を会場に開催されました。メインテーマは「海-その望ましい未来」。海洋に特化した特別博覧会であり、1972年の日本復帰記念事業として行われたのが大きな特徴です。

 日本から切り離された事で経済的に立ち遅れ、復帰を境に「本土並み」との声が高まっていた時代、沖縄にとって海洋博は一大チャンスだったのです。

 ところが大規模工事の多くは県外企業が請け負い、土地の買い占めなどで物価も上昇、急激な開発による自然破壊などで反対運動も起きました。入場者数も目標の450万人を大きく下回る350万人にとどまり、観光客をあてこんで作られた宿泊施設、土産品店、建設業など企業の倒産も相次ぎ、海洋博不況と言われました。

 しかし、現代から海洋博を振り返ってみると、必ずしもマイナスだったようには思えません。青い空青い海といった沖縄のイメージを確立し、現代に続く観光立県としての基礎ができあがったのは海洋博がきっかけといっていいでしょう。また、沖縄館で展示された沖縄独特の歴史や文化は、首里城再建を契機に沖縄文化が注目され90年代に起きた沖縄ブームに繋がっていく、その先駆けだったともいえます。

 復帰から50年が経ち海洋博を知らない世代も増えてきました。そこで今回の企画展では、現代からタイムスリップして海洋博の魅力を紹介し、海洋博が望ましい未来へ残したものとは何だったのかを振り返ります。


開催終了 企画展 会期:2022-05-13 (金) 〜 2022-06-27 (月)

日本復帰50周年記念企画展「時をかける那覇」

 1972年5月15日、様々な課題を抱えながらも沖縄は日本復帰を果たしました。復帰後の那覇市では、都市開発が急速に進んでいくことになります。

 1986年には小禄地域にあった那覇空軍・海軍補助施設が、翌年には真和志地域にあった牧港住宅地区がアメリカ軍から返還され、大規模な整備事業が進められていきました。さらに首里地域では、1989年に首里城正殿の復元工事が始まりました。長期にわたるモノレール計画も実現しました。

 今回の企画展では、復帰から50年という歳月をかけ抜けた那覇の移り変わりを紹介します。

 なお、展示室では沖縄復帰祈念式典における屋良朝苗沖縄県知事のあいさつの音声を聞くことが出来ます。さらにロビーでは1971年の撮影された那覇の動画もご覧になれます。こちらも併せてお楽しみください。


開催終了 企画展 会期:2022-01-07 (金) 〜 2022-03-07 (月)

那覇市市制施行100周年 那覇市・川崎市友好都市締結25周年企画展 首里・那覇を詠んだ詩人・歌人たち

 1879年の琉球処分(沖縄県設置)後の沖縄には、日本本土から多く知識人が沖縄を訪れ、本土とは異なる歴史・文化、民俗、風景に触れ、沖縄での思いを文字にし、詩歌に詠みました。
 今回の企画展では、那覇市市制施行100周年、那覇市と川崎市友好都市締結25周年を記念して、琉歌や和歌に詠まれた戦前の首里・那覇の写真パネルとともに、琉球王国時代の歌人のほか、鹿児島県出身で那覇市歌を作った安藤佳翠、川崎市出身で沖縄出身の詩人とも交流を持った佐藤惣之助、那覇市出身の山城正忠、山之口貘など戦前の首里・那覇を詠んだ県内外の詩人・歌人を紹介します。

※今後状況により日程等に変更が生じる場合があります。