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県道開通80周年記念 あの頃の国際通り

開催終了 企画展

県道開通80周年記念 あの頃の国際通り

会期:2014-07-05(土) ~ 2014-09-03(水)

 那覇のメインストリート「国際通り」は1934年に開通し、今年で80周年を迎えます。
 戦後は焦土と化した那覇市内で先駆けて復興が進み、「奇跡の1マイル」と呼ばれました。
 企画展では戦前から現在に至る国際通りと、金城棟永氏が撮影した1994年と2002年の国際通り店舗の写真を比較して紹介します。



主な展示品

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初期の国際劇場(アーニーパイル劇場)

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非公開: (キャプション入れるまでの間)街頭テレビに足をとめる人々

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国際通り

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 現在の国際通り一帯は、かつては道もなく、松尾の丘陵に造られた墓が点在し、ガーブ川や安里川の周辺に湿地帯が広がる場所で、わずかに壺屋や牧志(現三越裏側)に集落がある那覇の郊外でした。

 琉球王国時代から昭和戦前期にかけて、商業都市であった那覇と、首里城を中心に王都として栄えた首里を結ぶ道は、1451年に造られた「長虹堤」と呼ばれた道を通り、崇元寺から安里を抜け首里に行くのが一般的でした。

 このような中、1920年(大正9)沖縄県庁が西町から現在地へ新築移転し、1925年(大正14)には那覇警察署が東町から県庁前(現県庁前広場)に新築移転したのを契機に、那覇(県庁)と首里を結ぶ道が建設されました。

 1932年(昭和7)6月に県庁前から工事が始まり、80年前の1934年(昭和9)5月に開通した道路は、「新県道」と呼ばれました。今の国際通りの前身です。そして、沖縄戦後は、壺屋・牧志地域が市街地化したことにより、そこを通る「新県道」は、「牧志街道」・「牧志大通り」などと呼ばれ、ついには「国際通り」の名が定着し、沖縄一の「メインストリート」となりました。

 今回の企画展では、「あの頃の国際通り」と題し、戦前・戦後の国際通りの写真・地図を展示するとともに、写真家金城棟永氏からご提供いただいた国際通りの店舗の写真をもとに、国際通りの建物・店舗の移り変わりを紹介します。