展示会詳細
三ツ巴紋の紅型衣裳/三線と工工四
会期:2022-04-01(金) ~ 2022-04-27(水)
特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。
4月の染織資料は、尚家の家紋である三ツ巴(ヒジャイグムン)紋が染められた紅型衣裳を紹介します。
日本本土では家紋はその家の氏を表す重要なものですが、琉球ではその家の所有であることを示す道具紋としての意味合いが強く、風呂敷、文箱、衣裳箱などに使用されました。また、琉球では正式な衣裳に家紋を付けるという習慣はありませんでした。
今回展示している衣裳は全て三ツ巴紋が配されていますが、小さく全体に散りばめられていることから、道具紋と同じような捉え方をしているものと思われます。
また、3月から引き続き『三線と工工四(クンクンシ―)』と題して、当館所蔵の三線と胡弓、尚家に伝わる工工四をご紹介します。
三線は14~15世紀頃に中国から伝わったといわれています。琉球では、海外からの賓客をもてなす場で演じられる歌舞音曲を担当するのは士族男子であったため、士族の教養として三線の習得が奨励されました。近代以降庶民の間にも広く根付き、人々の生活に溶け込んでいます。
工工四は琉球古典音楽の楽譜です。屋嘉比朝寄(やかび ちょうき/1716~1775)が中国の楽譜を参考にして作ったのが最初といわれています。この工工四は「欽定(きんてい)工工四」ともいわれ、琉球国王尚泰の上意によって、咸豊8年(1858)に野村流の租である野村安趙(のむらあんちょう)と高弟の松村真信(まつむらしんしん)の師弟によって完成されました。
文書資料は、川平親雲上朝彬(ちょうひん)関連資料を紹介します。朝彬は、最後の琉球国王尚泰に仕え、野村安趙に歌・三線を師事した人物です。資料は尚家伝来の「工工四』のほか、川平家資料より「歌道要法」、「琉歌言葉之仮名綴 見合(りゅうかことばのかなつづりみあわせ)」、「三線四種之調子音調之次第 外(さんしんよんしゅのちょうしおんちょうのしだい ほか)」をご紹介します。
王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をどうぞご覧ください。