展示会詳細
白地の紅型衣裳/朱漆の漆器
会期:2021-10-29(金) ~ 2021-11-24(水)
11月の美術工芸資料は、染織資料は尚家資料から『白地の紅型衣裳』をご紹介します。
鮮やかな黄色地のイメージが強い尚家伝来の紅型衣裳ですが、紅型衣裳42領のうち15領が白地の衣裳であり、もっとも高い割合となっています。美しく白地を残し、色彩を際立たせるために、紅型職人たちは糊置きや色差しなどの各工程で細心の注意を払い染め上げました。白地の紅型衣裳は、職人が高い技術と熟練の技で、手間をかけて作り上げた特別なものでした。
また調度品は『朱漆の漆器』と題して、尚家資料と神山(かみやま)家資料、門岡(かどおか)家資料から、王国時代に製作された琉球漆器をご紹介します。
琉球での漆器製作は、15世紀には技術が確立され、16~17世紀に螺鈿(らでん※注1)・箔絵(はくえ※注2)・沈金(ちんきん※注3)技法が発達しました。また、18世紀には高温多湿の気候を生かして独自の堆錦(ついきん※注4)技法が考案され、発達しました。
漆器の中でも、朱漆に沈金で精緻な模様を隙間なく埋め尽くしたものは、王家や上級士族が用いた、格式の高いものとされています。
文書資料は、尚家文書の中から『異国船の来航』『僉議(せんぎ)』と題し、王国時代末期に琉球に到来した欧米諸国の異国船に対する王府の対応を記録した文書をご紹介します。
19世紀になると欧米各国の船がアジア地域へ通商・交易・布教を目的にやってくるようになります。琉球にも、フランスやイギリスの宣教師が滞在するようになります。中でもイギリス人のベッテルハイムは8年の長期に渡って滞在しましたが、常に王府の厳しい監視下におかれ、思うように布教は出来ませんでした。
また、日本へ到来する前に琉球に滞在したペリー艦隊の水夫ウイリアム・ボードは琉球人への暴行事件をきっかけに殺害され、その後、国際問題へと発展しました。
『僉議』は王府の協議の記録文書ですが、このうち今回展示している「咸豊二年六月より同六年三月迄僉議」はウイリアム・ボード殺害事件への対処を記録した文書で、その冊子の厚みから王府にとっていかに重大な議題だったかを読み取ることが出来ます。
王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をどうぞご覧ください。
※注1:螺鈿=薄く研いだ貝殻片を漆面に張り付けて文様をあらわす技法。
※注2:箔絵=漆面に漆で文様を描き、金箔を貼り付けて文様を表す技法。
※注3:沈金=漆面に金具で文様を彫り、金箔や金粉をすり込んで文様を表す技法。
※注4:堆錦=着色した漆をこねて作った堆錦モチを文様の形に成形し、漆面に貼り付けて立体的に文様を表す技法。
美術工芸資料 | ・白地松竹梅鶴鳥霞雪輪文様紅型木綿衣裳 (しろじしょうちくばいつるとりかすみゆきわもんようびんがたもめんいしょう) 【国宝尚家資料】 ・白地松桜紅葉亀松皮菱繋文様紅型木綿衣裳 (しろじまつざくらこうようかめまつかわびしつなぎもんようびんがたもめんいしょう) 【国宝尚家資料】 ・白地花菱繋文様紅型苧麻衣裳 (しろじはなひしつなぎもんようびんがたちょまいしょう) 【国宝尚家資料】 ・朱漆牡丹唐草七宝繋沈金料紙箱 (しゅうるしぼたんからくさしっぽうつなぎちんきんりょうしばこ) 【国宝尚家資料】 ・朱漆巴紋牡丹唐草文沈金櫛箱 (しゅうるしともえもんぼたんからくさもんちんきんくしばこ) 【神山家資料】 ・朱漆巴紋牡丹唐草文沈金文箱 (しゅうるしともえもんぼたんからくさもんちんきんふばこ) 【神山家資料】 ・朱漆葡萄文箔絵椀 (しゅうるしぶどうもんはくえわん)【門岡家資料】 ・朱漆龍牡丹七宝繋文沈金椀 (しゅうるしりゅうぼたんしっぽうつなぎもんちんきんわん) 【門岡家資料】 ・色絵紅葉文風炉 (いろえもみじもんふろ) 【国宝尚家資料】 ・玉冠(ぎょくかん)[レプリカ] |
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文書資料 | ・御包丁人江新家譜被下候僉議抜(1762~1857年) ・御所帯御難渋付向御取縮被仰付候僉議 ・咸豊二年六月より同六年三月迄僉議(1852~1856年) ・米国水兵溺死一件異国日記(1854年) 【以上はすべて国宝尚家資料】 |